あなたは三陸の珍味「ホヤの唐揚げ」を食べたことがあるか

絶品だった「ホヤの唐揚げ」

東北地方の太平洋側、三陸海岸で多くとれる「ホヤ」という海産物をご存じだろうか。現地では日本酒のアテとして人気があるが、中部以西の人たちには馴染みがないらしい。

一時は生産量の7割を韓国へ輸出していたが、東日本大震災の影響で禁輸措置に。日本政府は「科学的根拠のない差別的な措置」とWTOに提訴したが、今年4月の最終審で逆転敗訴してしまった。

2016年には禁輸のせいで、8000トン近くのホヤが廃棄処分されたというからもったいない話である。韓国人が食べないのなら、日本人がもっと食べればいいのに。

加工技術の発達でいつでもおいしく

ただ、ホヤの消費が全国に広がらない理由は理解できる。独特な風味は好みが分かれるし、鮮度が落ちると途端に嫌な臭みが出てくるからだ。

震災前に石巻でホヤを食べたことがあるが、東京で食べていたものは何だったのかと思うくらい染み渡るようにうまかった。あれを口にしてしまうと、産地から離れた地で「ホヤを食べて応援しよう!」と呼びかけにくい。

かといって、ホヤの廃棄を放置してはいられない。さてどうしたものか。そんなことをSNSに書き込んだら、東京・五反田の居酒屋「SAKE story」の店主・橋野元樹さんが「おいしく食べられる方法ができたんですよ」と教えてくれた。

水揚げしたばかりの鮮度のよいホヤを手早くさばき、急速冷凍してパックにする。これで貯蔵も運搬もしやすくなり、年中どこでも食べられるようになった。一般の人も「ほやほや屋オンラインショップ」という通販で買えるという。

そこで橋野さんに食材を取り寄せてもらい、お店で特別料理を作ってもらうことにした。庄内麩の煮物などのお通しで軽く腹ごしらえをしてから、ホヤのコースのはじまりである。

海の香りが岩手の普通酒に合う

ホヤ尽くしのお重

最初の重箱には(右下から反時計周りに)「ホヤの刺し身」と「ホヤのチャンジャ(キムチ)」、それから「ホヤの酢の物」に「ホヤの塩辛」がセットになっている。

まずはホヤの刺身から。これが一番、風味をそのまま味わえる食べ方だ。口に入れると貝のような滑りがありながら、噛むとシャキッ、シャキッとした食感がある。

味の要素は塩気と苦味と甘みと渋み、そしてほのかな酸味が…などと分析できるが、ひとことで「海を食べている」と表現した方が伝わりやすいのかもしれない。

酢の物と塩辛ももちろんおいしいが、初めて食べたチャンジャが他の調理法とまったく違っていて楽しめた。これなら多くの人が気軽に食べられそうだ。韓国焼酎にも合うだろう。

橋野さんはこの料理に、岩手県の「鷲の尾」という普通酒を合わせてくれた。秋田や青森との県境にある八幡平市の蔵元で醸され、県内でほぼすべてを消費し、県外には限られた店にしか出ないというお酒である。

ひとくち飲むと、すっきりした酸味と旨味がある。香りが強すぎず、すいすい飲んでも飲み疲れしない。ホヤにもよく合って、目をつぶると岩手の人たちがワイワイ楽しそうに宴会をやっている光景が浮かんでくるようだ。

酒蒸しは厚い身を存分に味わえる

分厚い身の「ホヤの酒蒸し」

続いて、ホヤの酒蒸しとホヤの唐揚げ。これがまた実においしい。火を通すと風味はだいぶ弱まるが、その分、うまみが出て万人受けするといっていい味になっている。

酒蒸しにすることで滑りはなくなり、厚い身を大きく切って存分に味わえる。鶏肉に似た歯ごたえと味わいもあり、もうこれは食卓のおかずのレギュラーになってもいいのではないかと思うほどだ。

そこに橋野さんは、「伯楽星」で知られる新澤醸造店(宮城)の、東京ではこちらのお店でしか飲めない「酒場の純米大吟醸」や、山形の「栄光冨士」「はくろすいしゅ」など、東北の日本酒を少しずつ合わせてくれた。

さらに絶品だったのはホヤの唐揚げで、まるで鶏唐のような味わいなのだが、それに加えて身の内側に張り付いて残っている内臓が、あん肝のようにねっとりとした濃厚な味わいになっているのだ。かつおぶしがまぶしてあって、香ばしさも増している。

この世の全ての酒好き中高年に教えてあげたい。年齢的に鶏唐はもたれがちな昨今、居酒屋でホヤの唐揚げが定番としていつでも食べられたら、どんなに素敵だろう。全ての居酒屋関係者に伝われ。

一緒に「おいしい」と微笑む人を大事にしたい

岩手の地酒「鷲の尾 金印」

とにかくどれも、ホヤの味としか言いようのない独特の風味である。それ以外の味に例えられないから、珍味と呼ばれるのだろう。カレーやラーメンのように老若男女に分かりやすく好かれるものでもないのだから、人によって好みが分かれるのは当然だ。

複雑な味覚のものを食べていると、人はだんだん「ひとり」になる。神経を鼻と舌に集中し、無心で味わったあと「なにこれ無茶苦茶おいしい」とつぶやくまではできるのだが、隣の人に「おいしいですよね」とはなかなか言いにくい。

相手も自分と同じようにおいしいと思っているのかどうか自信が湧かない。そんな不安を抱えつつ、言葉では表現しにくいけれども実に美味であることを確信している。

そのとき、隣で黙っておいしそうに微笑んでくれる人がいたならば、その人との関係は本当に大事にしなければならない。そんな奇跡は、人生の中で思ったほど頻繁に起こらないからだ。この世でそれ以上、何を望めるというのか。

 

TAGS

この記事をシェア