精神年齢は小5。鴨撃ちの極意は奇襲戦法だ(近藤康太郎の週末猟生活)

荒れ果てた雑木林のなか。行く手を阻む木や藪をよけながら歩く。目印にしている巨石にたどり着く。身をかがめる。ここから池のほとりの立木までは、よつんばい。散弾銃を手に、右ひじ、左ひじを交互に前へ這う。匍匐前進というやつである。

鴨の、忍び猟をしている。

どっかで見たなこの光景。そうか。サンダース軍曹か。「チェックメイト・キングツー、チェックメイト・キングツー。こちらホワイトロック、どうぞ」

ある年代より上の男性には分かってもらえるだろう。1960年代に放映してた海外テレビドラマ「コンバット」。アメリカ陸軍のサンダース軍曹を、懐かしのビッグ・モローが好演した。泥臭くて無口で武骨な、たたき上げの軍人。第2次大戦のヨーロッパ戦線で、米軍の小部隊を率いた。敵兵に気付かれることなく、最短距離まで近づき、奇襲をかける。

断っておくが、戦争なんて大っ嫌いだ。人類の敵だ。度胸もないくせに口だけ好戦的な一部のネット民は、疥癬持ちのイヌだ。そして、猟は、戦争の反対物なんだ。平和活動だ。冗談で言ってるんじゃない。いずれ書く。

もとい。

とはいえ、馬鹿な男子って「戦争ごっこ」にはまるもんだ。そう、小学5年くらいまで。戦車のプラモを作ったり、親にGIジョーをねだったり。おもちゃの銃を手に、公園や空き地の“戦場”で、敵味方に分かれて撃ち合う。敵の背後に忍び込み、不意打ちする。それを、いま、やっている。

鴨のいる場所とは、人のいない場所だ。鴨は、きわめて用心深い動物で、人の気配をはるか遠くに感じると、すぐ回避行動をとる。50メートル以内に接近すると、迷わず飛び立つ。耳もとりわけよくて、足音を聞き逃さない。

だから、鴨に射程距離まで近づくのは至難のわざなのだ。わたしの住む大分県日田市は、海から離れた山奥で、鴨を見つけるのはとくに難しい。けもの道を探して山の中を歩いていて、偶然見つけたこの池は、だから、わたしにとっては大切な財産なのだ。

人が通わなくなって10数年とおぼしい、深い藪に囲まれている。池の左右と裏手は、竹やぶやイバラに阻まれて、歩くのも困難だ。藪がまばらな正面からは、こちらの姿が丸見え。うまくできてる。天然の要塞。だからこそ、いつも鴨がいる。安心しきって、ドングリなどをついばんでいる。

では、どうするか。

裏をかくのである。藪に阻まれた池の裏面へ、山を登って下りて、大回りしてアプローチできないものか。ある日、山の中を一日、歩き回った。すこしでも藪の薄いところを求めて、枯れた竹を踏みしめ踏みしめ、進む。背丈より高い藪に囲まれる。じきに、前進も後退もできなくなる。遭難……。恐怖を味わう。

こんな道を何度も通えないし、なによりバキバキ激しく音がするので、鴨にも気付かれる。そこで、迂回路を切り開くことにした。

百姓仕事の必需品、草刈り機。1万円で買ったすぐれもの。山の中へ草刈り機を持ち込み、ようやくひとりが通れるだけの道を刈っていく。枯れ木ばかりでなく、生木もある。切り開くのは困難を極める。ふつうに歩けば5、6分の道を、1時間以上もかけて、刈る。人に見られたら、怪しすぎる光景だ。

目印の巨石から、池のほとりの射撃ポイントまでは、地面を覆った枯れ葉を手で丁寧にのぞいて“掃除”しておく。枯れ葉がカサッと音をさせたら、すぐに気付かれるから。ここから匍匐前進、気付かれずに忍び寄り……。

本番を想像するだけで、脳内からアドレナリンが吹き出す。この感覚、小学5年の戦争ごっこ、敵の裏をかいた、あの興奮と同じなんである。

「一生を通じて、どれだけ大きな子供でいることができるか」。そう書いたのは、ショウペンハウエルだ。「真面目くさって、冷静で、落ち着き払った人間は、世界のためには有用な市民だが、とうてい天才にはなれない」と。

わたしたちは、天才ではない。なれるわけもない。ただ、大きな子供、永遠の青二才にはなれる。精神年齢小学5年に、なってやれ。

……馬鹿な人。そういう声が聞こえる。否定はしない。なにせ小5だ。

 

TAGS

この記事をシェア