高円寺の一人暮らしでできた仲間たち~元たま・石川浩司の「初めての体験」

僕のひとり部屋はいつも仲間でいっぱいだった(イラスト・古本有美)

僕は18歳の時に、東京の高円寺という街で初めてのひとり暮らしをはじめた。木造モルタル造りのボロボロのアパートで、風呂はなく、トイレは共同。家賃2万円の四畳半の部屋だった。

慣れないボロアパート暮らし

初めて銭湯に行った時はヒヤッとした。それまで銭湯は、テレビドラマでしか見たことがなく、「ロッカーの並んだ場所で服を脱ぐ」といった知識しかなかった。銭湯のノレンをくぐると、すぐそこには小さなロッカーが。「ここで着替えるんだな」とぼんやりしながら上着を脱いだ。でもちょっと待て、なんか変だぞ。まだ銭湯代も払ってないのに。そこでハッと気づいた。

「ここは脱衣所じゃない。まだ靴置き場だ」。運良く近くには誰もいなかった。慌てて上着を着て事なきを得たが、「靴置き場に全裸の変態男が!」と通報され、パトカーでランランとドライブするところだった。何事も初めての時は注意が必要だ。

共同トイレでもヒヤっとする出来事があった。木の引き戸は鍵がまともにかからず、ノックをしなければならない。ある日、ノックを忘れて扉を開けたら、管理人の婆さんの尻がズドドーンと大漁旗を掲げたマグロ漁船のように目の前に現れた。これまた大慌てで、「す、すいません!」と尻に向かって謝ったことがあった。

友達のたまり場に

さて、表向きは大学に通うための上京だったが、実際には家族から離れて、ひとりで生活したかったのだ。「ふ~誰にも監視されない生活は楽じゃなあ~」などと考えているうちに、いつの間にかグーガー眠ってしまい、とっくに授業時間が過ぎてしまっているという日々であった。

そんなわけで大学にはほぼ通えなかったが、音楽活動には力を入れていた。自作の曲でライブハウスのオープンマイク(飛び入りで歌うイベント)に通っていた。僕の歌はアングラなシンガーたちに影響を受けたもので、決してそれで食っていけるような商業的音楽ではなかった。それゆえに、そこで出会ったマニアックな趣味が近い人たちとはすぐ友達になった。

そして僕の部屋は、いつの間にかそうした友達の溜まり場となっていた。いろんな人が頻繁に出入りするので、部屋には鍵をかけておらず、知らない人がいることもあった。バイトから帰って来ると全く知らない兄ちゃんが寝ていて、「あのー、ど、どなたですか…?」と聞くと、「ふぁ!? あぁ、○○の友達なんだけど、ここ誰でも泊まっていいって言われたんで」と言われることもあった。

魔法の部屋

そんな僕の部屋は、友達から「魔法の部屋」と呼ばれていた。なぜ魔法かというと、理由はこうだ。家主の僕は日銭を稼いだら、あとは部屋でダラダラしているだけという日々を送っていた。そんな様子を見た友達は、「なんとか人生やっていけるじゃん」と楽観的になり、学校やバイトや就活をさぼって、気がつくと数日経っているなんてことがざらにあった。このため、「あの部屋にいると魔法にかかっちまう!」と言われるようになり、自然に付いた名前だった。

狭い部屋のまん中には、雀卓代わりのテーブルがあり、常に誰かが麻雀をしていた。漫画だけは大量にあったので漫画を読む人もいた。酒を飲んで”ダベる”人、押し入れで寝ている人もいる。僕の部屋は、雀荘であり、漫画喫茶であり、飲み屋であり、ホテルだったのだ。そんな人たちが、多いときは10人以上。窓から勝手に入ってきた野良猫がニャーニャー通り過ぎる。それが典型的な僕の部屋の光景だった。

僕の部屋は、馬鹿馬鹿しくも楽しい「ミュージシャンのトキワ荘」みたいなものだった。そして、こんな「魔法の部屋」から、まさに魔法のように「たま」も生まれたのだ。

あれから時は経ち、僕の部屋でいつも遊んでいた友達のひとりが、数年前に仕事中の事故で亡くなった。その時に僕が作った歌を最後に紹介したい。

『メメントの森』 作詞・石川浩司

みんな死んじゃうからこの世は楽し
みんな死んじゃうからこの世は一時輝く
みんな死んじゃうからこの世は面白いなあ
みんな死んじゃうからこの世はある

メメントの森に原付で行こう
メメントの森ではしゃぎあおうよ

生まれる前はみんな死んでいた
だから死んだ後はみんな生まれるのでしょう
生まれる前はみんなどこにいたの?
死んだ後はみんなどこに行くの?

メメントの森に集まったら
ケモノの鳴き声真似しよう

ワンワン ニャーニャー パオーパオー メェェ~

みんな死んじゃうからこの世は楽し
みんな死んじゃうからこの世は一時輝く
みんな死んじゃうからこの世はバカバカしいなあ!
みんな死んじゃうからこの世はある

みんな死んじゃうから 今ここにいる

 

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