昭和歌謡の「やさぐれ感」がたまらない…昭和の名曲を歌い継ぐ「歌謡ハンター」

『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー。『TOKYO1週間』(講談社)など雑誌制作に従事してきた(撮影・萩原美寛)

幼いころから「昭和歌謡」に魅せられてきたというライターの仲村瞳さん。ネットメディア「全日本歌謡情報センター」で編集長兼「歌謡ハンター」として執筆するだけでなく、自ら歌って聞かせることで、昭和歌謡の良さを広く知ってもらおうとしています。

仲村さんがボーカルと「会長」をつとめる「昭和歌謡文化継承委員会」は、年数回のライブ活動のほか、介護施設などへの慰問を行っています。横浜刑務所では、手拍子の許されない800人以上の受刑者がじっと聞き入る前で、歌ったこともあるそうです。

平成が終わり、令和の時代を迎えた今なお、「昭和」を追いかける仲村さん。昭和歌謡のどこに惹かれているのでしょうか? 同じく昭和の雰囲気を色濃く残す東京・中野のビル「中野ブロードウェイ」で話を聞きました。

中野ブロードウェイの前に立つ仲村さん(撮影・萩原美寛)

「大人の男と女の世界はすごいんだろうな」子供心に響いた昭和の歌

ーー「昭和歌謡」には、どういった魅力があるのでしょうか?

仲村:ひとつは、情緒がすごく感じられるところです。曲のタイトルや歌詞に、昭和ならではのキーワードがありまして。たとえば、「タバコ」だったり「ドライブ」だったり。「電話」「酒場」「銀座のクラブ」が出てきたり。さらに「愛人」ですとか、深いテーマのものが多くて。

ーーたしかに今の楽曲には、あまりない要素かもしれません。

仲村:そうですね。島津ゆたかさんの『ホテル』(1985年)なんて、不倫の歌なんですけど、歌詞に「ホテルで逢ってホテルで別れる」とか「私の家の電話番号が男名前で書いてある」とか出てくるんです。幼いころこの歌を聞いたとき、子供心に「ただごとではない」と感じてしまいまして(笑)「大人の男と女の世界はすごいんだろうな」と。

昭和歌謡では、男性歌手でも女性歌手でも、艶(つや)と色気が感じられますね。「大人の色気」というのが大切にされていたように思います。

ーー仲村さんは、どこからどこまでを「昭和歌謡」と位置づけているのですか?

仲村:どんな歌を「昭和歌謡」と呼ぶかは諸説あるんですが、私としては昭和時代の歌をすべて「昭和歌謡」と捉えることにしているんです。作詞家・阿久悠(あくゆう)さんの言葉で、「歌謡曲は歌の総合文化だ」という言葉がありまして。これがすごく好きなんです。

(歌謡曲は)要するに、アメリカンポップスもロックも音として呑み込み、それに日本の現代を切り取り、日本人の心を躍らせ泣かせる詞を付けた、歌の総合文化であった。ーーー阿久悠『昭和と歌謡曲と日本人』(河出書房新社)

ーーー昭和の歌が「昭和歌謡」だとすると、戦前の古い歌も範ちゅうに入るんですね。

仲村:はい、昔の歌も聞くんです。研究発表会(=ライブ)でやったなかで一番古いのは、昭和11年(1936年)の『東京ラプソディ』という曲なんですけど、これはインストルメンタル(演奏のみ)でやりました。私が歌ったなかで一番古いのは、昭和22年(1947年)の『港が見える丘』ですね。

ちなみに、昭和で一番古い歌は、昭和3年(1928年)発売の『波浮の港』。歌った佐藤千夜子さんは「日本で初めてのレコード歌手」といわれています。これが最初の「昭和歌謡」ということになりますね。

そして最後の「昭和歌謡」が、昭和64年(1989年)1月1日に発売された酒井法子さんの『ホンキをだして』と、BARBEE BOYSの『目を閉じておいでよ』です。

仲村さんが集めた「昭和歌謡」の資料の一部(撮影・萩原美寛)

電話のコード、タバコ……さりげないアイテムに「男女のもどかしさ」が

ーーーどのようにして「昭和歌謡」に目覚めたのですか?

仲村:両親が趣味でバンドをやっていたんです。父がテナーサックス、母が歌謡曲を歌って。幼稚園や小学校のころ、その練習場所でいつも遊んたり、自宅に8トラック(カートリッジ型の磁気テープ)のカラオケがあって、母が日常的にそれで歌っていたので。当時は『星降る街角』(1977年)とか、『メモリーグラス』(1981年)が好きでした。

「昭和歌謡文化継承委員会」として2014年からライブ活動を続けている(提供・仲村瞳さん)

ーーー思春期に、流行歌や洋楽を聞くようになるということはなかったのですか?

仲村:それはもちろんリアルタイムで聞いていましたが、歌謡曲が古く感じることもなくて、どちらも好きでしたね。昭和歌謡に特に執着するようになったのは、22、23歳くらいでしょうか。

ライターの仕事をするにあたって、出身地の千葉から東京に出てきまして。それからひとりでカラオケに行く機会が増えたんです。ひとりカラオケですね。そこで昭和歌謡を歌うようになって。いろんな昭和歌謡が歌えるようになりたいなと思ったり、うまく歌えるようになりたいと思ったりで、歌のレッスンにも通うようになりました。

ーー実際に歌うようになって、改めて気づいたことはありますか?

仲村:やっぱり生演奏の良さっていうのが昭和の音楽にはありまして。かつてはミュージシャンの活躍の場が、たくさんあったと思います。キャバレーにバンドが入っていたり、ホストクラブでもダンスができるスペースがあって、生バンドが入っていたりとか。

テレビの歌番組でもビッグバンド(10数名から成るバンド)が当たり前に入っていて。「NHK紅白歌合戦」も、昔は紅組と白組で別のバンドが演奏して、番組の前半と後半でもバンドが変わるので、計4バンドとオーケストラが入って豪華だったんです。

バンドをバックに歌手が歌うという、そのビジュアルも好きで。なので、私たちの昭和文化継承委員会(のライブ)では、なるべく生演奏を皆さんに聞いていただきたいというこだわりでやっています。

絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を2012年に発行。絵馬研究家の面もある(撮影・萩原美寛)

ーーー「昭和歌謡」を歌い継いだり、資料を集めたりする以外の活動もあるのでしょうか。

仲村:ちょうど今、名曲をキーワードで分類する「昭和歌謡タキソノミー(分類学)」というのを進めています。

たとえば「電話」というキーワードでも、「ダイヤルまわして手を止めた」とか「(電話の)コードを指に巻いてたね」という歌詞があったり、「君のいない時間にかけた電話 なぜか言えない」というのもあって。今だったらあり得ないんですよね。留守電もないですし、着信も残らないんで(笑)。そういうところに男女のもどかしさが出たりするんです。

「タバコ」で言いますと、『よこはま・たそがれ』という歌が有名で、「ホテルの小部屋 口づけ 残り香 タバコの煙」という歌詞があるんですけど、今、ホテルは全面禁煙なので、そういった光景や情緒が失われつつあるんです。

タバコのようなアイテムで、感情や男女の関係を表現する。そういうことができた時代だったのが、すごくいいなあと。

歌謡曲の歌詞や歌手のポスターが登場するマンガも「資料」となる(撮影・萩原美寛)

ーーー特に好きな歌手や楽曲はありますか?

仲村:選ぶのは難しいんですけども、森聖二さんは男性歌手で一番といっていいくらい好きです。「黒沢明とロス・プリモス」というムード歌謡グループのボーカルの方です。女心を歌わせたらピカイチなんじゃないかと思います。

あとは水原弘さん。水原さんは、散財がすごいことで知られていまして。夜の街でどんどん人におごったりだとか、ひと晩で何百万円も使ったりだとか。(俳優の)勝新太郎さんに憧れてそういう使い方をするようになったということなんですけども。それを友だちに忠告されたときには、その友だちを殴ったそうなんです。

ーーーそうした破天荒な生き方にも魅力を感じられる?

仲村:それはかっこいいですよね。歌い手というのは、自分の生き方に艶がなくてはダメなのさというようなことをおっしゃっていて。その言葉には、しびれてしまいますね。

女性の歌手ですと、園まりさんですとか。奥村チヨさん、由紀さおりさん、山口百恵さんが好きです。歌声はもちろん、表情が好きで。目つきが色っぽくて。流し目や、どこを見ているのかわからないような、悟りを開いたかのような目つきだったり、やさぐれた雰囲気だったりが、魅力的に感じられるんです。そんな「やさぐれ感」も昭和歌謡ならではだと思います。

 

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