「本当のぼっち」なんて存在しない。社交的でも人見知りでも、いろいろな「1人好き」がいていい

DANRO1周年会の懇親会。たくさんの「一人好き」な関係者が集まった

今週木曜の夜、DANROの一周年を記念した懇親会が行われた。DANROのほとんどの執筆陣が参加していたが、その中には既婚者もいれば(結構多い)、飲み会の幹事が得意という人もいた。DANROは「ひとりを楽しむ」ことを提唱するメディアだ。そんなのおかしい、と思うだろうか?

私は、一人を楽しむこと・ソロ活は、すべての人に開かれたライフスタイルだと思っている。そこに他者から見た「一人っぽさ」の有る無しは関係がない。

「一人っぽい」と聞いて、どういう人のことをイメージするだろうか?  暗そうで、人と喋れなくて、パートナーがいなくて、隅っこにいる人……などなど。

正しい「ぼっちの姿」なんてない

「一人が好きです!」とメディアで発信していると、ときどき意地悪な人がいる。曰く、「一人好きなわりにラジオで流暢に喋っているからおかしい」、「SNSに投稿したり、メディアで喋ったり、共感を求めているんだから、『一人』ではない」。そういった意見をざっくりまとめると、「一人好き」とは、社交せず・他の人間との一切の関わりを遮断し・室内にこもり・言葉をうまく喋れない、そのような人物像であれ、と願われているようだ。これが正しい「ぼっち」の姿。これ以外は認めない。……そんなわけあるか!

それが「正しい形」なのであれば、このソロ活というジャンルは、誰も発信してはならない、ということになってしまう。このDANROで書いている大勢の執筆陣も全否定だ。なぜならば、執筆の仕事をするにあたって、最低限の社交は必要だからである。

そもそも、「一人大好き!」な面々が、一堂に会して乾杯をし、談笑し、一本締めで解散するという「懇親会」をしているのである。一人が好きな面々の人生にも、いろいろなことがあるのだ。

DANRO1周年会の様子

ちなみに、「そんなの本当のぼっちじゃない」、「悲壮感がないから“ビジネス”だ」とい う石投げも“あるある”だ。言い換えると、「お前はたいしたことない! 自分のほうがぼっ ちだ」ということだと思う。そう感じること自体は否定しない。その人の中の主観では、 そうなんだと思う。ぼっち度の客観的な世界ランキングなんて誰にもつけられない。

ただ、「そんなの本当のぼっちじゃない」と他者に対して思うということは、「集団=正 解」・「一人=不正解」という前提のもとに考えてしまっているんじゃなかろうか。だとしたら、勝手に優劣をつけられて、散々苦しめられた基準なんて捨ててしまったほうがラクだ。

そこに優劣なんかなく、あるのは、それが好きか嫌いかだけ。一人でいること、好きですか?

なぜ、人は何かを発信する他者に対し、たったひとつの姿“だけ”を求めるのだろう。そんな純度100%の人間なんて、存在しないのではないだろうか?  もし、“そう見える人”がいたとしたら、それはおそらく「演出」でしかない。テレビでよくあるあれだ。

キレキャラの芸人さんは、キレている姿だけを切り取ってカメラの前で見せている。日常でもキレているばかりなわけがない。パンが好きな女優さんは、人よりもパンを食べる回数が圧倒的に多いだけで、米を食べる日だってあるだろう。密着VTRなんかは、「(そのテーマに沿った)特殊なことをする日」だけを撮影して、ギュッと凝縮して作られている。そういうふうにできている。

人はカラフルな生き物

人はさまざまな面をグラデーションのように持つ生き物だ。私は人見知りではあるが、たまたま「目的さえあれば会話ができる」というスキルを持っていた。初対面だらけの目的のない交流会のような場では、誰とも上手く話せず惨憺(さんたん)たる有様だけれど、幸い「仕事」となると必ずそこに「目的」が存在する。従って、文字以外の手段でもメディア発信がそこそこできる。ラッキーなことだ。

「こうでないとおかしい」と他者のあるべき姿を一つに決めつけてしまうのは、めぐりめぐって自分の生き方を制限し、自分の首をしめてしまうことになるんじゃないかと私は思う。

逆も然り。「一人とはこうあるべき」と自分の中で強烈にイメージを決めつけると、他者にもそれを求めてしまいかねない。それに何より私自身も、「一人っぽさ」の過剰なイメージを自分で自分に課していたような気がするのだ。最初はただ好きでやっていたことが、だんだん「外から見たぼっち感」という見られ方を意識した振る舞いになっていく。

ここ数年で「人と会うのが疲れるから行かない」と決断した数々の集まりがあるが、私の判断の裏に「一人好きの拙者としてはそのような場に行ってはならぬ」という下心(?)がまったくなかった、と果たして言えるだろうか。 

私が大好きな本である森絵都さんの『カラフル』(文春文庫)に、こんな言葉が出てくる。この言葉を見るたびに、いつもちょっとだけ泣きそうになる。

この世があまりにもカラフルだから、ぼくらはいつも迷ってる。どれがほんとの色だかわからなくて。どれが自分の色だかわからなくて。

黒だと思っていたものが白だった、なんて単純なことではなく、たった一色だと思っていたものが、よく見るとじつにいろんな色を秘めていた、という感じに近いかもしれない。

黒もあれば白もある。
赤も青も黄色もある。
明るい色も暗い色も。
きれいな色もみにくい色も。
角度しだいではどんな色だって見えてくる。

DANROには、色々な「一人好き」がいる。それぞれの思う「一人」の記事が、色々な色を放っていて、カラフルだ。

明るい人が語る「一人」も、暗い人が語る「一人」も、社交的な人が語る「一人」も、社交しない人が語る「一人」も、そこにある「一人が好き」な気持ちに偽りがあるわけがない。私はカラフルな人々を、カラフルな自分を、面白がれる人間でありたい。

DANROのカラフルな人たち

 

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