小田急・千歳船橋駅前「テヴィエ」像の正体は~駅前の偉人を訪ねて

電車で旅をしていると、駅の前に立つ銅像に目が止まることがあります。多くは、かつてその地を治めた戦国武将や、そこで生まれ育った歴史上の人物のものです。しかし、なかには、あまり知られていない人の銅像だったり、有名な人であっても「なぜここに?」と首をかしげてしまう銅像を見かけたりすることがあります。

たとえば、筆者の地元・滋賀県高島市にある駅の前には「中江藤樹」の巨大な像があります。地元では有名な人ですが、全国的には、何をした人かはおろか、名前をどう読むかわからない人がほとんどでしょう。答えは……いずれどこかで。

同じように、おもに地元の人だけが知る「駅前の偉人」を訪ねる旅に出るというのはどうだろう。そう思い立ちました。予期せぬ発見がありそうです。しかし、時は大型連休中。遠出する気にはなれません。ならば、東京にもそんな像がないかと探すうちにたどりついたのが、小田急線の千歳船橋駅前(世田谷区)にある「テヴィエ像」でした。

「ああ、あの像ね」とすぐわかった人は、おそらく千歳船橋駅をよく利用する人でしょう。「そんなところにテヴィエの像が?」と思った人は、きっとミュージカルが好きな人。そして「えっ、何をした人だっけ?」と思った人は、筆者の仲間です。テヴィエが何者なのか、この地を訪ねるまで、まったく知りませんでした。

「テヴィエ像」の正体はあの名優

千歳船橋駅は、新宿駅から小田急線で20分ほどで行けます。改札口はひとつだけで、改札を出ると、真正面に「テヴィエ」の胸像が見えます。

「テヴィエ」とは、ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』の登場人物です。ここにあるテヴィエ像は、俳優・森繁久彌(もりしげ・ひさや)さんがその「テヴィエ」を演じた姿。つまりこの像は、森繁久彌さんの像なのです。

森繁久彌さんといえば、往年の名優。映画『もののけ姫』に登場する「乙事主(おつことぬし)」の声を担当したことでも知られています。筆者は、映画『男はつらいよ 純情篇』で、娘に厳しい父親を演じた森繁さんが好きです。

台座の説明によると、このテヴィエ像、もとは1982年に『屋根の上のヴァイオリン弾き』のロングラン公演(707回)を記念して、興行主から森繁さんに贈られたものだそうです。森繁さんが96歳で亡くなった5年後、2014年に、森繁さんのご遺族から世田谷区に寄贈されたといいます。

では、なぜ森繁さんの像がこの地に贈られたかというと、この町に森繁さんが長く住んでいたからだそうです。森繁さんの著書、その名も『森繁自伝』(中公文庫)には、森繁さんが戦後、同じ小田急沿線の「狛江村」(現在の狛江市)に引っ越してきたことが書かれています。

「森繁通り」と呼ばれた商店街を歩く

話はそれますが、今回の小さな旅に合わせて読んだ『森繁自伝』は、読みごたえがありました。森繁さんがアナウンサーとして赴任した満州での暮らしから始まり、俳優の道を本格的に歩みだすまでの、若き日々について主に記しています。

終戦直後の新京(満州の首都)の描写は陰惨で、気が重くなりましたが、日本に引き揚げてからの破天荒な日々、たとえば電車でチンピラを「スーと洩(も)れたわが毒ガス」をもって撃退する場面などには笑ってしまいました。

ネットで調べると、千歳船橋駅の近くには「森繁通り」と呼ばれる通りがあるようです。地図アプリを頼りに、向かいます。駅から徒歩で5分ほど。そこは、絵に描いたような「閑静な住宅街」でした。

店が少なく、あまりに特徴がない通りなので、タバコ屋のおばちゃんに聞いてみると、「ここがそうだよ。坂を下るまでずっと森繁通り」とのこと。森繁さんが1953年(昭和28年)、このあたりに住居を構えたため、町の人たちがそう呼ぶようになったそうです。

再び駅のほうへ歩きだすと、町内の掲示板に、森繁さんの映画を鑑賞する会のチラシが貼ってあるのが目にとまりました。会では森繁さんの次男・健(たつる)さんが、話をするようです。

また、商店街の事務所には、森繁さんの写真や色紙が飾ってありました。「森繁通り」にちなんだ、森繁さんの短いエッセイもありました。森繁通りの「記念携帯ストラップ」(800円)は、「長寿のお守り」だそうです。森繁さんは96歳までお元気でしたから、効果があるのかもしれません。

と、ここまで歩いたあたりで、初夏の訪れか突然の雷雨。傘を持っていなかったため、慌てて駅まで駆け戻りました。ふと思い立って出かけた、わずか数時間の小旅行はここでおしまいです。予備知識がなかったことが幸いしたのか、予想以上に楽しめました。

町の人たちの「森繁愛」は、本人が亡くなってから10年近くがたつ今も衰えておらず、「テヴィエ像」が駅前に置かれているのにも納得がいきました。

 

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