「卒業アルバム」に残された、僕にとって「平成最大」のスクープ写真

筆者の卒業アルバム(画像を一部、加工しています)

元号が「平成」から「令和」に変わった5月1日、ふと思い出したことがあります。ふり返ってみれば、それは自分にとって「平成最大のスクープ写真」を撮った日でした。しかもそれは、皇室にまつわるものだったのです。

「紀子さんが来てはるみたい」

筆者が中学生だった1990年代のはじめ。元号が「平成」に変わってまもないころ、滋賀の片田舎にある筆者の中学では、修学旅行の行き先が「東京」でした。その旅程のなかに、男女5人ほどの班ごとに分かれて自由に観光する日がありました。

原宿、東京タワー、完成間もない新都庁……インターネットがない時代ですから、各班、テレビや雑誌で得た情報をもとに事前に決めた場所をまわるのです。

ただし、学校側が決めた「チェックポイント」がいくつかあり、行き先のなかに組み込む決まりになっていました。そのチェックポイントのひとつが上野公園でした。(25年以上経った今、その他のチェックポイントは思い出すことができません・・・)。

公園内にある西郷隆盛像の近くで担当の教師が待っており、「〇組〇班です」と立ち寄ったことを報告。次の目的地に向かうのです。

筆者の班も公園での報告を無事に済ませ、次はどこだっけと旅のしおりを開いたときでした。班の女子が「紀子(きこ)さんが来てはるみたい」と、関西弁で言いだしたのです。「紀子さん」とは、もちろん紀子さまのこと。秋篠宮さまとご結婚された前後の「紀子さまフィーバー」からまだ何年も経っていないころですから、中学生の我々にとっても注目の的でした。

「誰から聞いたん?」とその子にたずねると、「ホームレスのおじさんが教えてくれた」と言います。しかし平日の公園内はいたって平穏で、TVカメラや報道陣の姿はありません。大人になった今なら、「そんなはずないだろう」と一笑に付すところですが、そこは純粋な田舎の中学生。おじさんにもう一度確認しようという話になりました。

公園で寝そべる「おじさん」に会いに

女子の案内で向かった先は、公園内の木陰でした。思えば当時は今よりも牧歌的な時代。公園内のあちこちに「おじさん」の姿がありました。

木陰で寝そべっているおじさんに、勇気をふり絞って「紀子さんが来てるって本当ですか?」と声をかけます。するとおじさんは「ああ、あっちにいるよ。行ってみな」と、ある方向を指して教えてくれました。我々はおじさんに礼を言い、そちらを目指します。

その先にあったのは、東京都美術館でした。ちょうど「二科展」が開催中で、その看板が出ていました。ここまで来ても、報道関係者らしき人をひとりも見かけません。

しかし、片方の耳にイヤホンをつけた体格のよいスーツ姿のおじさんが数名、美術館の周りに立っていることに気づきました。いかにもSP(要人警護の警察官)といった雰囲気です。我々中学生5人組は、ここへきて「おじさんの話は本当らしい」と色めきだちました。

どうやら秋篠宮さまと紀子さまは、いわゆる「おしのび」で美術館にいらっしゃったようです。筆者は当時、皇族の方が公的な行事以外で外出するイメージがなかったので、単純に驚きました。

美術館の玄関近くで「なかに入ってみようか?」などと班のメンバーと話し合っていると、SPらしき人が近づいてきて、「もうすぐ(ご夫妻が)出てくるから、このラインから出ないでね」と、床のタイルの境目をつかって「出てはいけないライン」を決めました。といっても、こちらはわずか5人。後ろから押す人も、前に割り込こもうとする人もいません。むしろ人数は、SPらしき人たちのほうが圧倒的に多いのです。

まるで見張られているかのような緊張感をおぼえつつ、数分待っていると、玄関から秋篠宮さまと紀子さまが、美術館の関係者と一緒に出てきました。我われがもっと大人数であればワーキャーと騒いだかも知れませんが、丸刈りとおかっぱ頭の中学生5人組は、ただ無言で突っ立っていることしかできません。

筆者の中学時代の「卒業アルバム」より

すると、ご夫妻がこちらに近づいてきました。美術館の前で、横一列に並んだ学生服とセーラー服。想像するに、かなり不思議な光景だったでしょう。秋篠宮さまは我われの前で足を止められ「どちらからですか?」と声をかけてくださいました。班の誰かが「滋賀県です」と答えました。「そうですか」と返答がありました。

ご夫妻はやがて、関係者の案内で車に向かわれました。その車をじっとながめていると、後部座席の窓が開き、紀子さまが手を振ってくださいました。田舎の中学生5人組、手を振り返すべきなのか、振り返すべきでないのか、そうしたことすらわからず、直立不動のままお見送りしました。

この一連のやりとりのなかで、筆者は当時流行していた簡易カメラ「写ルンです」で、お2人の姿を撮っていました。お2人が笑顔で写るその写真は、筆者の中学の卒業アルバムに掲載されました。新元号「令和」を迎えるとともに「平成」を振り返ったとき、筆者にとっての「平成最大のスクープ写真」は、その1枚だったと気づいたのです。

 

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