取り壊しが決まった寮に住み続ける学生たち〜私と東大駒場寮(第1回)

駒場寮の廊下、突きあたりにある窓。「寮生会議」のビラが貼られている

東京大学の主に1、2年生が通う駒場キャンパス(東京都目黒区)。そこにかつて、駒場寮という学生寮が存在した。1935年(昭和10年)の竣工で、設計は東大の象徴として有名な安田講堂と同じ内田祥三。建築から約60年後、廃寮・取り壊しをめぐり、大学側と寮生が激しく争う事態となったが、2001年8月22日、裁判所の強制執行によりその歴史に幕を閉じた。

私は東大卒ではなく、武蔵野美術大学の出身である。当時、ひょんなきっかけから、大学の卒業制作として、東大駒場寮の「写真&インタビュー集」を作成することになった。そのことが未だに残る呪いの元になるとは、思いもしなかった。

駒場寮カフェ。寮生によって運営され、コーヒーは1杯50円だった。

駒場寮の「写真集」を封印する

駒場寮が廃寮となった翌年の1月、私は東大駒場寮の写真と寮生のインタビューをまとめた手製写真集を完成させ、卒業制作展で写真や動画とともに展示した。

そのあと、1000枚以上の写真とネガ、動画が私の元に残ったが、長い間、これをどう扱ったらいいのかわからなかった。自分が撮影した写真を発表することに意味を見い出せず、写真集を封印することにした。ときどき古い建物が好きな人や駒場寮関係者などが「見たい」と言ったときだけ、写真集を見せるようにしていた。

その後、そのうちの一枚が、1960年代の学生運動を描いた柴田翔の小説「されどわれらが日々――」の新装版(文春文庫)の表紙に使われたりもしたが、モヤモヤした気持ちは晴れなかった。

駒場寮の廊下。柴田翔『されどわれらが日々――』(新装版/文春文庫)の表紙提供写真

「マイ・バック・ページ」の衝撃

駒場寮の写真を撮ったあのときから10年がたった2011年の秋、映画館で「マイ・バック・ページ」を見て衝撃を受け、原作本も続けて読んだ。

「マイ・バック・ページ」は、評論家の川本三郎さんが週刊誌の記者時代に、取材対象である活動家に心情的に深入りしすぎた結果、犯罪の容疑者を助けたとして逮捕され、会社からも解雇されたという過去が、回想録として書かれている本である。

この本を読むまで、私は川本さんのことを「有名な映画評論家で、雑誌の『東京人』とかで昔の東京の話とかを書いてる偉い人」だと思っていた。それだけに、その過去にも驚いたが、何よりも、川本三郎さんほどの人でも時代の空気に呑まれたり、過ちを犯したり、また、10年以上もモヤモヤした気持ちを引きずったり、書けなかったりするのか!!ということが衝撃だった。

「私自身のなかでも"あの時代"をどうしたらいいのか手立てがなかった。忘れたふりはできても忘れることはできなかった。"あの時代"の自分と"いま"の自分が二つに完全に分裂してしまっていて、どちらが自分なのかわからなくなっていた。"いま"の自分に居直ろうとすると必ず"あの時代"の自分がそれに異議を申し立てた。(中略)そして時代が明るくなればなるほど(しかし本当に明るいのだろうか)"あの時代"を自分の中で救い出したいという気持が強くなった。だが救い出すといってもどんな手立てがあるのだろう」

本の冒頭に登場するこの部分に、ものすごくシンパシーを感じた。

駒場寮の屋上の出入り口。ここも完全に蔦に覆われていて、古代遺跡のような神秘的な感じがした

「マイ・バック・ページ」を読んで、私も駒場寮について、なにか言葉を発しても良いのではないかという気になった。私も、あの時の体験を何か形にしても良いのではないか、いや、今しなければならない、と強く思った。

あの夏から10年がたって、一生忘れないだろうと思っていた記憶がどんどん薄れはじめていた。逆に、混乱していた気持ちが冷静になってきて、落ち着いて過去の写真を見られるようになってきた。

それから私は、駒場寮の写真のデジタル化を少しずつ進め、写真集を再び作り直すことにした。このDANROの記事では、写真集を再制作するにあたってデジタル化した「廃寮直前の駒場寮」の一部を紹介したい。

駒場寮との出会い

私が初めて駒場寮を見たのは2001年の5月。そのとき私は、武蔵野美術大学の4年生だった。

大学の授業で、駒場東大前駅近くにある日本民藝館に行った帰り、せっかくだから東大見物でもしてから帰ろうと思い、東大に通っていた中学校の同級生に連絡をとった。いきなりの連絡だったが、幸いにも会うことができた。

駒場キャンパスの門をくぐって、しばらく歩いたところで、私は駒場寮を「発見」したのだ。

寮の外観。地上3階建ての建物は、完全に緑の蔦に覆い尽くされていた
駒場寮の「中寮」の入り口。かつては北寮・中寮・明寮の棟が存在したが、2001年には明寮は既になかった

渋谷駅から歩いて30分足らずの場所にこのような森があり、蔦(つた)が絡まる古い建物があるということは、当時の私にとって衝撃的だった。私は、その緑に囲まれた古い建物に、圧倒的な魅力を感じた。

中庭。高い樹木と、地面を覆いつくす雑草などで森のようになっていた

寮の建物をもっとよく見てみたい。そう思って近づこうとしたら、同級生は「ここには近寄らないほうがいい」「興味を持つな」と言った。

なぜ近寄ってはいけないのか。詳しく教えてくれないので、「どういうことなんだろう?」と、逆に興味を持ってしまった。ここにはまた近々、写真を撮りに来よう。そう思った。

「古い建物を改造して住んでる人」の本を作ろうと思っていた

その頃の私は、大学の卒業制作のテーマを決めなければならない時期を迎えていた。

所属していたゼミはグラフィックデザインだったが、建築に興味を持っていた。特に、リノベーション(リフォームより更に大掛かりな改修のこと。壁をぶち抜いたりなど)やコンバーション(建物を本来用途から転用して利用すること)に強い関心を抱いていた。

今では、建物のリノベーションやコンバーションが当然のように行われ、そういう物件の流通も、割と簡単に行われるようになってきている。また、昔よりも「デザイン」というものへの関心が高まってきていて、インテリアやDIYに興味がある人も多くなったと思う。

しかし2001年頃は、自分が知る限り、「わざわざ古い建物を選んで、改造して住もう」という人はとても少なかった。主に建築学科の学生や美術系の人、あるいは、ものすごく建物にこだわりのある人だけが、古い建物を改造して住んでいた。

私が所属していたゼミでは、卒業制作は「本という形態であれば内容は何でも良い」ということだったので、「『古い建物を改造して住んでる人』についての本を作ろう」と考えていた。

なぜそこまでして、学生たちはここで暮らしているのか?

初めて駒場寮を見た日からしばらく後、私は改めて寮を見学しに行った。寮についても、いろいろと調べた。

駒場寮は、学生によって運営されている「自治寮」であるということがわかった。また、建物の内部は、住居であると同時にサークル部屋やカフェなどがある、多目的に使われている空間であることもわかった。

寮の廊下。ピンク色のドアの部屋は会議室
会議室。通称ピンクルーム
階段の壁一面に描かれた謎の絵画
階段の壁一面に描かれた謎の絵画その2。誰の手によるものなのかは不明

今では、こういった学生寮にカフェや多目的スペースがあるというのは珍しくないだろうが、2001年頃の日本には、そういったものはあまり存在していなかったと思う。

そんな駒場寮の最大の特徴は「廃止が決定された寮」だったことだ。私が訪れた10年前の1991年、大学当局は老朽化を理由として駒場寮を廃止し、別の場所に新しい寮を建設することを決めていたのだ。

学生たちは、大学当局の一方的な決定に反対し、独自に寮生の募集を行い、寮に住み続けていた。私の同級生は、大学の意向に反発する駒場寮生に対して良い印象を持っていなかったから、「興味を持つな」と言ったのだなと状況を理解した。

駒場寮の近くにある「森」の奥のほうには、学生たちが自前で管理している発電機があった。寮の建物は、電気もガスも止められていたのだ。なぜそこまでして、学生たちは、ここで暮らしているのか? そんなことが気になって仕方がなかった。

寮の台所。洗濯機、洗い場、ガスコンロ、作業用テーブルがある。洗顔や歯磨きもここで行われた
寮のトイレ。シャワーとして利用できるように改造されたブースもあった

駒場寮に魅せられた私は、この寮に住んでいる学生たちの「写真&インタビュー集」を作り、それを卒業制作にすることに決めた。

 

TAGS

この記事をシェア