転職8回&転居16回を経験した35歳独身男性「飲んでいたら仕事が見つかる」(ひとり部屋、拝見)

(撮影:中村英史)

刺激を求めて、好奇心のおもむくまま、いくつもの会社を渡り歩いてきた東京の会社員・湯浅哲徳さん(35歳)。これまで転職を8回、引っ越しは、海外への移住を含め16回経験しました。「昔は、なにかを成し遂げないと意味がないじゃないか、みたいな、変な焦燥感があったんです」。そう語る湯浅さんは3年前に広告代理店に入社し、「ようやく落ち着いた」と語ります。

「ひとり」を楽しむ人たちを取材するDANROでは、35歳以上でひとり暮らしをしている人の部屋を訪ねる企画「ひとり部屋、拝見」を連載しています。

今回、話を聞いた湯浅さんの部屋は、JR錦糸町駅(墨田区)から徒歩数分の場所にあるマンションの一室です。8畳ほどのワンルームで、窓からは東京スカイツリーが見えました。この部屋に引っ越してきて、まだ1週間ほどしかたっていません。

(撮影:中村英史)

「本当は門前仲町(江東区)に住みたかったんですけどね。初めて東京にきたとき暮らした町なので。でも、いいところが空いてなくて」と、湯浅さん。会社から近く、友だちが多い渋谷に出やすい場所として、この部屋を選びました。

経営者にベトナム行きを直訴「ぜひ私を連れてってください」

湯浅さんは、福岡県出身。ホンダの創業者・本田宗一郎の本に感銘を受け、高校を卒業後、大阪の自動車整備専門学校に進みました。その後、福岡に戻り、自動車ディーラーの会社で営業職に就きますが、働くなかで「ITって、なんかすごそうだぞ」と感じて、システム開発会社に転職。数ヶ月後、さらに別の会社に移り、インターネット広告の営業マンになります。

「そのとき広告の勉強を始めて。ネットの記事をいくつも読んで。それが楽しかったんですよ。そして自分でもアウトプットしよう、と。情報収集して、自分の考えを加えてブログに書くみたいなことを始めたら、『広告系ブロガーつながり』っていうのが盛んで、いろんな人と知り合いになったんです」

「そのつながりで仕事が見つかりそう」と考えた湯浅さんは、2007年ごろ上京。東京の広告代理店に就職します。そのときに住んだのが、門前仲町のマンションでした。大手企業への出向を含め、4年ほど勤務しました。すると湯浅さんのなかで「なんらかの事業をやりたい」という思いが目覚めたといいます。「自社の事業というものを、責任をもってやってみたいと思うようになったんです」(湯浅さん)。

(撮影:中村英史)

そこでゲーム会社に転職し、全国各地のお店を紹介する事業に携わります。上司から「ヘビーな出張族になれ」と言われた湯浅さんは、週に4日は出張して全国各地をめぐります。「旅が好きなんで、いろんな人に会って話を聞くのは楽しかった」という湯浅さんですが、やがて「なんのために入社したんだっけ?」と自問自答するようになり、1年で退職。フリーランスのウェブディレクターになりました。

「そのとき、いろんな会社の経営者に会いにいったんです。どうやったら自分のやりたいことができるんだろうと考えて。『とりあえず飲みに行きましょう』と、いろんな人に声をかけました」

そんな日々のなかで湯浅さんは、「ベトナムでエンジニアが育っている」という話を耳にします。

「自分の場合、何かを作ろうと思ったら、エンジニアがいないと作れない。ベトナムにターゲットを絞って、またいろんな人に会って。すると、ちょうど『ベトナムに支社を出すよ』って会社があって。『ぜひ私を連れていってください!』とお願いしました」

その結果、ベトナムへの移住が決まります。「場所とか土地に執着はなかった」と言う湯浅さんの部屋に今も物が少ないのは、こんな風に、身軽に動く年月を過ごしてきたからでしょう。本棚がなく、壁を飾る絵や花もありません。冷蔵庫と電子レンジはここに引っ越すにあたって、会社の先輩から譲ってもらったものだといいます。

(撮影:中村英史)

10円ハゲができ、貯金がつきた「失意の帰国」からの再出発

しかしベトナムでの事業は、湯浅さんが考えていたほどうまくいきませんでした。「せっかく来たのに、このまま帰るわけにはいかん」と、湯浅さんは個人で資金を捻出し、現地にある開発会社にアプリを発注。リリースにこぎつけましたが、これもヒットすることはありませんでした。

いったんは東京に戻った湯浅さんですが、ある会社のCEOに誘われて、半年後には再びベトナムの地を踏むことになります。今度は、湯浅さんが自ら発案した新規事業、POS(販売管理)システムの開発に乗り出しました。

「納得できる事業計画が立てられたし、チームメンバーも10人くらい採用しました。ベトナム人やロシア人やカザフスタン人と私。何度も議論したり、たまに飲みに行って一緒に騒いだり。でも、開発の規模が大きくなりすぎて、失敗しました」

予算の超過が見えたところで、システムの開発を中止。湯浅さんは経営者に謝罪し、会社を辞めて、みたび東京へ。「まさに『失意の帰国』でしたね」と、湯浅さん。気がつけば頭部には「10円ハゲ」ができていたといいます。よほどストレスがあったのか、ベトナムではカジノにハマって500万円以上を費やしていたため、貯金も底をついていました。

「世界一周旅行にでも行ければよかったんですけど、働かなければならなくて(笑) ただ、東京で(お酒を)飲んでいたら仕事が決まるんじゃないかとは思っていて。毎晩、飲み会を設定して、いろんな人と飲みに行ってたら、今の会社で面接してもらえることになったんです」

この「飲んでいたら仕事が見つかる」という考え方と、それを実現させてしまう勢いが湯浅さんの魅力なのかもしれません。帰国後1カ月ほどで名古屋で働くことが決まりました。

「事業に失敗しての帰国だったんですが、今の会社でも親会社の新規事業を受託することになりまして。また計画を立てて、サービス設計して、損益計算して、開発して。失意のどん底から始めた事業でしたが、今度はうまくいったんです」

(撮影:中村英史)

サービスが軌道に乗ったのを機に湯浅さんは異動願いを出し、この春、東京にやってきました。「今は(自分の)『若いころ』みたいなのが一段落した感覚があるので、満足しています」と、湯浅さんは言います。

「ようやく物を持っていいかなとか、のんびり暮らししてもいいかなと思って、先日、初めてソファーを買ったんです。10万円の。ネットで買おうとしたら、同僚が『絶対に実物を見たほうがいい』というので、お店に行きました。そこで実際に触って、接客を受けたらドキドキしちゃって。カジノではもっと(高い額を)スってたんで、気にならないと思ってたんですけど。なんか新鮮な感覚だったんで、思い出の品ですね」

今は会社の後輩の勧めもあって、婚活にも興味を抱いている湯浅さん。その一方で、「プロボノ」(専門的なスキルを活かしたボランテイア活動)にも乗り出し、友人が興そうとしているスタートアップを無料で手伝っています。

 

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