「翔んで埼玉」主題歌を歌うはなわ 「S・A・G・A・佐賀」から16年の原点回帰

はなわさん(撮影・萩原美寛)

興行収入が30億円の大ヒットとなった映画『翔んで埼玉』。エンディングテーマを歌っているのは、かつて「佐賀県」を歌ったはなわさん(42)。多彩な芸の持ち主ですが、大流行した「S・A・G・A・佐賀」の重圧に苦しんだことも。改めて注目を浴びた今の心境や、2011年に移住した佐賀と東京を往復する暮らしについても聞きました。

未だに「ドッキリなんじゃないか」って思ってます

――「埼玉県のうた」が注目されていますが。

はなわ:ありがたいです。最初、お話を頂いたときは、こんなに大がかりな映画と思ってなかったんで「選んで頂いてよかったな」ぐらいの気持ちだったんですけど、蓋を開けてみたら、自分なりに焦ってきまして。

はなわさん(撮影・萩原美寛)

曲自体は20年前に作っていたんです。元々「佐賀県」がヒットしたときに、他の都道府県も、ということで、「埼玉県」とか「千葉県」とか、2003年に発売したファーストアルバム「HANAWA ROCK」に入ってるんですよ。

ただ、毒舌がすごくて、事実確認もせずに勝手に歌ってた部分もあったんで、お笑いライブで歌う分にはいいんですけど、「時代的にもコンプライアンス的にやばいな」と思って、ここ数年は封印してた曲なんです。

そうしたら、武内英樹監督が、自らいろいろ調べて、この曲を発掘してくれまして。「『翔んで埼玉』にぴったりじゃないか」って言ってくれて、まさかのオファーを頂いたという感じで、もうホント、たなぼたですね、青天の霹靂。

映画の主題歌なので、ちゃんと事実確認もして、しっかりと作り直そうということになりまして。弁護士さんも入れてしっかり調べていただいて、かと言ってクオリティを下げたくないので、僕もネタを50~60集めて映画のエンディングの尺に合わせて抜粋しました。

――実際「埼玉県のうた」はヒットするって思ってました?

はなわ:全然思ってないです。未だに「ドッキリなんじゃないか」って思ってますし。

「佐賀県」や、2017年の「お義父さんの歌」は、徐々に広がっていった感じがあったんですけど、今回はほんとにカウンターをくらったような感じ。映画を見た人たちが本編で笑って笑って、そしてはなわの歌がエンディングで追い打ちをかけるという、監督の演出のおかげだと思ってます。ほんと感謝してます。

佐賀と埼玉には共通点がある

――埼玉という微妙な位置が良かったんでしょうか。

はなわ:実は埼玉は、僕ら田舎もんからすると都会で、めちゃくちゃあこがれてる場所でもあるんですよね、東京からものすごく近くて住みやすいですし、何だかんだいっても都会ですし。ただ「海がない」とか「何もない」とか、いじりやすい。ベッドタウンで4~5世代にわたって住んでいる場所じゃないから、そもそも郷土愛が深まらないっていうのが、すごく面白くて。

埼玉の人は寛大で、それをちゃんと理解してるからネタにしやすい。これが栃木とか群馬だと、リアル過ぎて笑えない。ハライチの澤部なんかは、顔も「埼玉ヅラ」してますし、「埼玉は何もねぇよ」って言うと「あるよ」ってちゃんと突っ込んでくれますしね。ツッコミができる、いじられ上手な埼玉県民、だけどみんな埼玉を愛しててかわいいなと。

――佐賀県と似ているところがありますよね?

はなわ:方向性は違いますけど、佐賀県もいじりやすかったですね。地理的にも大都市・福岡の隣で、歴史をひもとくとすごい場所。ど田舎だけど、あえてその道を選んだというのがどこかにあって「自慢しない美学」みたいなものがある。それが埼玉と似ていますねえ。

――ネガティブな反応も来ませんか?

はなわ:もちろんあります。ただ、やっぱり毒舌には賛否両論ないと。全員が全員、賛同して笑ってくれちゃうとまた面白くない。リアルに怒ってくれる人がいるから、ちょっと危険なにおいがしていいのかなって。そこをあえて目指してやってるところもあるんです。

オフに完全に切り替わる佐賀暮らし

――今はご家族と一緒に佐賀県に住んでいますね。

はなわ:家族は佐賀ですが、佐賀だけじゃお仕事できないんで、東京と佐賀を行ったり来たりして暮らしています。今はいちばん上がこの春から東京の大学に進んで、2番目が中3。

今年3月、長男・元輝君の佐賀県立佐賀工業高校の卒業式で、家族と(はなわさん提供)

嫁は佐賀の幼なじみで、「佐賀で子育てしたい」っていうのは嫁の気持ちでした。僕自身も「佐賀県」の歌がヒットしたことで、佐賀県に恩返ししたいって思ってまして。

――移住したのはいつ?

はなわ:2011年に、長男が小学校6年になるとき「そろそろ佐賀にいかなきゃ、このままずっと東京に暮らすことになるね」と思って決断しました。僕自身も、千葉県から佐賀県に引っ越ししたのが小6になったとき。もともと東京で「さんまのからくりTV」が、うちの家族の密着取材をずっとやって下さってました。その番組が終了したのも、きっかけとして大きかったですね。

――だいたい月に何日くらい佐賀にいるんですか。

はなわ:月に10日は行けてるかな。佐賀でイベントや、プロモーション大使もやっている関係もありますが、丸一日休みがあれば行けるときは行きます。

佐賀に帰ったら、仕事モードから家族のためにっていうモードになるんで、そういうオンとオフの切り替えが完全にできるという意味ではよかったですね。

――でも、移住するときって勇気いりませんでした?

はなわ:2011年は東日本大震災があって、ちょうどいちばん下の子が産まれたばっかりでした。東京での仕事よりも家族、子どものためにっていう、価値観の変化ですかね。

――ライフスタイルの転機だったんでしょうか?

はなわ:そういう時代だったのかもしれないですね。行ってみたら、僕ら芸能人でも、地方で普通に仕事できるなって感じましたし。SKYPEとかで会議もできちゃう。作った曲もデータを送ればいいし、BEGINさんはSKYPEで録音もしている。

東京一極型を変えなきゃいけない。そのために、どうやって地方を盛り上げるか。東京でも佐賀でも仕事しながらっていう生活が当たり前になればって思います。

――佐賀県に暮らしててよかったなぁって思うことは?

はなわ:子どもはほんとにのびのびと育ってます。食べ物も普通に安心安全。それにいちばん大事な心の部分ですよね。学校の先生はもちろん、近所の人も、先輩も、みんな純粋でいい人。やっぱり佐賀にいてよかったなぁって思いますよね。

はなわさん(撮影・萩原美寛)

佐賀に根付いている教育理念というか、教育の文化はすごいものがあってですね。先輩を敬う精神とか、おごらない精神とか。あとは、挨拶。そういうのが、当たり前のように教えられるところですね。特に柔道をやってるんで、より厳しく教えられてますけど、人間関係の部分ですごい勉強になります。

物価もやっすいですしね。佐賀空港は駐車場タダですし、家賃も激安。福岡まで30分の場所に、2000万円ぐらいで庭付き駐車場付き一戸建ての広い家が買えるんですよ。

「埼玉県のうた」がはやって、「佐賀県を忘れたの?」って言われることもあるけど、そういうことじゃない。埼玉県を盛り上げる中で、佐賀も盛り上げようと。やっぱり佐賀県への恩返しは、一生かけてやんなきゃって、ちょっと長いスパンで考えてます。

目標が変わってきた

――「佐賀県」は35万枚のヒットになりましたが、あのインパクトが強烈で、その後はなかなか苦しい時期もあったのでは?

はなわ:「佐賀県」だけを未だにやり続けてたら、絶対にきついと思うんですけど、やはり家族って存在が大きいですよね。ただ売れたい、金持ちになりたい、ぐらいの夢だったものが、やっぱり養わなきゃいけないという夢に変わってきた。

――仕事から家族へ目標が変わった転機は何だったんですか?

はなわ:最初は漠然と「芸能界で活躍したい」というぐらいのレベルで、まじめな歌も作ったりしていました。「つまんねぇなぁ」とか、ため息つきながらやらない仕事って何だろうって思ったら「芸能界しかない」って思って。もともと「唯一無二」、当たり前じゃないことをやらないと面白くない、常にわくわくすることしかやりたくないっていう性格なんで。

それが「佐賀県」が大ヒットして、一気に人生が変化したんです。全く何もなかった人間に、急に仕事が舞い込みすぎて、まるで洗濯機の中にぶっこまれたように、ぐるんぐるん忙しくなって。許容範囲も能力も追いつかない。しかもピン芸人。追い込まれて、円形脱毛症とかできちゃったんですよ。

はなわさん(撮影・萩原美寛)

その頃ですかね。「所詮そんなレベルの男なんだから、自分のできる範囲でやろう」って。そう思ったら楽になった感じですね。自分ができることを分かって、周りの能力ある人を尊敬するようになったりしましたね。

昔はとがりまくって、同期をライバル視もしてましたし、「何で俺をわかってくんねぇんだ」って思ったりしました。能力もないのに、はったりをかますこともあったけど、それってあとあと自分を苦しめる、ってことを実際経験させてもらって。

苦しい時代もありましたけど。そのときに家族とたくさん時間を作れた。テレビの露出度、CDの売り上げ、ライブのお客さんの数、そういうのは本当に時代とか人気とか、いろいろ浮き沈みがあると思うんですけど。ぶれずにやればこういう話もいろいろ来る。いろんな経験させてもらって、嫁と子供を幸せにするっていう目標のために仕事を頑張んなきゃいけないですね。

――そんなところへ「埼玉県のうた」の依頼が舞い込んできた。

はなわ:最近は「佐賀県」当時の毒舌の歌を知らない人も多いんですよね。だからこそ、「そういうのやりたいな」っていう思いがあったところへ、向こうからお話が来たんです。

でもホント、武内監督のおかげですよ。僕の当時のネタを知らなかった人も知ってくれるようになりました。この前、アンジャッシュの渡部さんに「はなわは周期が来てまた面白くなるから」って言われたんですよ。「都道府県の歌も、まだいっぱいネタ持ってるし、『ガッツ石松伝説』みたいな『伝説の男』シリーズも、今やったっていい」って。

――「原点回帰」ですね。

はなわ:まさに原点回帰です。もともと「こういう毒舌系の歌は厳しい時代なのかな」って勝手に気にしちゃってたんですけど、逆にそういうものがなさすぎて「待ってました」みたいな形でみなさんが受け入れてくれた感じがしてます。僕が歌ってきた毒舌を、やれる時代がまた来たのかなって、ちょっと感じていますね。

はなわさん(撮影・萩原美寛)

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