出演依頼が殺到!「裸の女」の情念を激しく描く「段ボール紙芝居師」

出演依頼が殺到!「裸の女」の情念を激しく描く「段ボール紙芝居師」

「東京のライブハウスで、段ボールで紙芝居をする女性がいる」という情報を頻繁に耳にするようになりました。その正体は飯田華子さん(34歳)。彼女はおそらく日本でたったひとりの“段ボール紙芝居師”です。

注目度急上昇! 段ボールに描かれる情念の紙芝居

「段ボールを拾ってきて、安いアクリルの蛍光塗料で絵を描きます。見世物小屋を思わせるアヤシイ色彩になるんです。この色合いが、自分でも気に入っています」(飯田さん)

飯田華子さんが「段ボール紙芝居師」になって13年目。じわじわと話題になり、2018年に注目度が一気にアップ。出演依頼が殺到し、ほぼ連日、ライブハウスやクラブ、ギャラリー、バーやスナック、企業の宴会での余興などに引く手あまた。アルバイトもままならない状況なのだそう。

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その人気の理由とは? 飯田さんが語る紙芝居が特異なのは、段ボールという画材の珍しさだけではありません。内容のほとんどが、女性の情念を紙に叩きつけた激しい物語なのです。

場末の酒場や風俗で働く女性たちが数奇な運命をさまよい、闇へ堕ち、そこへ一條の光が射して救われる展開。取材日の演目は、やくざが詰めた小指から生まれた女の子の生き様が描かれていました。

シュールで、ありえないフィクションなのに、なぜかリアルに感じる作風。けばけばしいタッチ、さまざまな声色を使い分けるテクニックと相まって、ぐいぐいと惹きこまれてゆきます。そんな「オトナの紙芝居」が多くの観客の心をとらえているのです。

アパートの押入れは段ボールがぎゅうぎゅう詰め

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飯田さんの住まいは東京の北端、足立区にあるアパート。押入れには、およそ1000枚もの段ボール紙芝居がぎゅうぎゅうに押し込まれています。

「足立区へ来て4年目です。紙芝居の収納ができて、猫が飼えて、家賃が安い部屋を探しているうちに、どんどん北の方へ北の方へ行っちゃって。稼いでいるかって? ぜんぜんですよ。むしろアルバイトができないから、以前より生活が苦しいくらい。部屋の更新料を払う時期が迫っているので、どうしようか悩んでいる毎日です」

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「女と男の性は、すれ違って、うまくいかないのだ」

飯田さんは新宿で生まれ育った生粋の都会っ子。教育関係に従事する両親のあいだに生まれたひとり娘です。そんな飯田さんの「性のめざめ」は4歳の時。

「保育園に置いてあった『ひとのからだ図鑑』を読んだのがきっかけです。ページを開いたら成人女性の解剖図が載っていて、その図のインパクトがすごかった。『うわ、すげー! おっぱいだ!』って。幼い自分の胸とはかけ離れていたので妙に興奮してしまい、それ以来ずっとエロ本のようにその図鑑を読んでいました」

性に対する強い関心が萌芽し、悶々とした感情を胸中に秘めながら10代となるも、通っていた私立の中学・高校は男女が別棟で学ぶ校風で、異性との交流はありませんでした。学校はほぼ女子校状態。さらに家庭では携帯電話が管理されるほど男女交際に厳しく、品行方正な女子として生きる以外、飯田さんには居場所がなかったのです。

「性に対する興味は膨らむ一方でしたが、周囲に男性は誰もおらず、恋愛とかセックスとか、遠い宇宙で起きている出来事のよう。『男性から言い寄られたり、求められたりするって、いったいどんな気持ちなんだろう』。妄想だけではどうにも我慢できず、15歳の時、歌舞伎町の道端に立ちました。結局は『元ホストだ』と名乗る金歯がギラついたおじいさんに財布を奪われて終わってしまったんですが……」

怪しい老人に身体と財布を奪われた飯田さんは、その時「女と男の性は、すれ違って、うまくいかないのだ」と、現実を痛感したといいます。

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「ラッパーに勝つために」紙芝居を始めた

高校を卒業した飯田さんは、とある超難関な大学へ進学。そこでハードコアパンクのバンドでギターボーカルをつとめていた先輩と知り合い、おつきあいを始めます。段ボールで紙芝居を始めたのは20歳の時。パンクスだった彼氏の、あるひと言が引き金となりました。

「私は思春期の頃はずっとクールで、『自己表現なんてダサい』と、創作活動に背中を向けていたんです。でもステージで絶叫する彼氏を観て、なんだか強烈にうらやましくて、それができない自分が悔しかった。そんなとき彼氏から『言葉によるパフォーマンスでバトルするイベントがあるから出場してみない? 優勝すれば賞金が出るよ』と教えられたんです。どうもヒップホップの人たちや詩人が出場するらしいと。詩の朗読なんてしたことがないし、ラップの経験もない。そこで『言葉だけではなく、絵も加えればラッパーに勝てるんじゃないか』とひらめき、紙芝居を描いてみることにしました」

初めての紙芝居に選んだ画材は段ボール。段ボールを選んだ理由は、タダで手に入る上に、「観客席からでも難なく観ることができる丈夫で大きな紙」だからだったそうです。しかしながら、それがのちに、どこかうら寂しい「飯田華子ワールド」を表現する格好なキャンバスとなってゆきます。

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「デカい段ボールにのびのびと絵を描けて、快感でした。それに、どんなにシビアな物語を描いても、段ボールのジャンクな質感のせいで、どこか安っぽくてばかばかしくて笑える点も自分には合っていたと思います。物語の内容ですか? すでに裸の女性が登場する下ネタでした。ただ、とても抽象的で難解な展開で。20年間の鬱屈をぶちまけた、ぐちゃぐちゃな内容でしたね」

初めて人前で上演した段ボール紙芝居は、賞にはかすりもしませんでしたが、飯田さんのその後の人生の舵を大きく切る、忘れられない一日となりました。

「大学生の時に“性”をテーマに紙芝居を描いて、『やりたいことが見つかった』と感じました。それから紙芝居で頭がいっぱい。抑えていた感情が爆発してしまって『もう就活や卒論どころじゃない!』ってくらいエロい紙芝居に夢中になりましたね」

「性の現場をこの目で見たい」と風俗嬢に転身

大学卒業後、せっかく商社に入社できたものの「紙芝居と両立できない」と、わずか7か月で退社。そこから飯田さんは、商社とはかけ離れた業種で生きてゆくのです。

「22歳から30歳まで、風俗嬢をやっていました。回春マッサージ、SMクラブの女王様、レズ風俗、あと『ちょんの間』にいた時期もありました。もっとも長く続いたのが、やりがいを感じて25歳から5年間つとめたソープランド。風俗業界に入ったのは、お金が欲しかったのが大きな理由でしたが、それ以上に性の現場をこの目で見て、体感しておきたかったから。私、取材体質なんですよ」

8年にわたる風俗取材の経験は、紙芝居の内容にも大いに活かされました。しかし、やりがいを感じていたソープランドの仕事は、30歳になって性病を患い、「身体の免疫力が低下している。もう潮時だ」と感じて引退。次いで32歳の時、大学時代から連れ添ったパンクスの彼氏との別れも経験。人生の逆境にありましたが、紙芝居へ取り組む姿勢はさらに熱を帯び、作品数もぐんぐん増加。ストーリー性もいっそう豊かになったのだそう。

そうして「すごい紙芝居師がいる」というウワサは作品数と比例するように広範囲へ伝播し、今や引っ張りだこの人気となったのです。

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「さまざまな性の風景を見てきて改めて思うのは『性的なあれこれはこんなにも、うまくはいかないのだ』ということでした。幼い頃から女性がエロに関心を持つのがおかしいと教えられ、セックスワークを職業にしている事実を口にしてはいけない風潮があり、女性をモノのように消費する男たちがいる……。つらいですよね。なんでみんな、こんなにうまくいかないんだろう。女と男の性って、なぜこんなに重なることができないのだろうって。考えただけでも胸が苦しくなるのに、私は『なぜなの? 知りたい』って、足をつっこんでしまう性格なんです」

飯田さんの段ボール紙芝居が支持を得る理由は、女と男が分かりあえない現実社会をもがくようにして生き、それでもなお性と対峙しようとする飯田さんの人間くささにあるのかもしれません。

紙芝居の内容と自分の人生が反映している

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「一生、紙芝居を続けたい。でも、内容はきっと変わっていくのでしょうね。自分の人生と作品内容がそうとうリンクしているので。どんなふうに変化してゆくのか、自分では見当がつかないですね。もっとおもしろい物語になっていけばいいのですけれど」

飯田さんは今日も荒涼としたストリートで段ボールを拾い集め、そこへ、女と男の不条理な物語を描出します。そして夜な夜な重くて大きな段ボールを運びながら、艶めかしく、かつ哀切感がある紙芝居を披露しています。

薄暗い地下のライブハウスでめくり、めくられる段ボールの紙芝居。めくられる段ボールの一枚一枚は、飯田さんが「生きづらい」と悩みながら、ひたむきに生きてきた証しなのです。

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