冷え込んだ冬の部屋で食べる「牛シマチョウのキムチ鍋」は温かい

冷え込んだ冬の部屋で食べる「牛シマチョウのキムチ鍋」は温かい
冬空の下で孤独を抱える人を想う

ある朝、気がかりな夢から目覚めると、寒風が吹き抜けていた。半月ほど前から仕事場兼寝室の出窓が壊れており、ときどき室内の気温が屋外と変わらなくなってしまうのだ。

寝る前にガムテープを念入りに貼っておくのだが、明け方に強風が扉のすきまから入り込み、バーンと大きな音を立てて開いたこともあった。まるで誰かの恨みを持った力で、強く引っ張られているのではないかと思うような勢いだった。

想いは無実の罪で死んだ人に

カーテンの陰で見えないが、おそらく外側に全開になっているのだろう。部屋は北向きのせいもあって、元々ものすごく寒い。そこにみぞれ混じりの北風が吹くと、まるで河川敷のテントで寝ているような気分になってくる。

布団を出て窓を閉めようと考えるが、だんだんこの寒さにも意味があるような気がしてきた。この瞬間にも暖房もないアパートで腹を空かせ、孤独を抱えている哀しい人がきっとどこかにいるのだ。

そこから派生して、無実の罪で死刑になった人や、大衆から理不尽な袋叩きに遭って憤死した人など、普段は湧かない追い詰められた人への想いが膨らんだ。貴重な機会だからしばらくこのままでいいかと、布団から顔だけ出して考えていた。

とはいえ、いくら他人に同情していても世の中がよくなるわけではない。彼らの目線に合わせたものが書ければ少しでも疎外感を軽くできるのではと思うが、ネットメディアなんて洒落臭いところに書いている限り、その目に届くことは難しいだろう。

気を取り直して、温かいものでも食べて元気を出すことにした。それぞれの人がそれぞれの持場で自分の役割を果たすことでしか、ましな世の中にする方法はない。そういう地道な仕事なしに、世の理不尽を嘆いてばかりいても仕方ないのだ。

シマチョウとにごり酒の小瓶を買う

氏家コラム_1
キムチとにごり酒がハーモニーを奏でる

1000円札と小銭をポケットに入れ、近くのスーパーに出向いた。外はむしろ寝室より暖かく、店はすでに買い物客で賑わっていた。老人たちの朝は早い。血行をよくするものは何だろうと考えながら、キムチを1パック、とりあえずかごに入れた。

こういうときは、鍋がいいのかもしれない。生の牛シマチョウを解凍したものが安くなっていたので、キムチもつ鍋に決めた。そうなると、ちょっとお酒も入れてみたくなる。マッコリはなかったので、日本酒「白川郷」のにごり酒の小瓶を買った。

帰宅してシマチョウを鍋に入れ、よく振ったにごり酒と水、生姜のチューブを加えてひと煮立ちさせる。余計な脂と臭みが取れたところでザルに取り、再び鍋に戻してキムチと酒と水を適当に加え、数分火にかけたらもう終わりだ。

野菜室の隅に使いかけのしめじがあったので、それを載せて完成である。豆腐もニラもネギもない。食べる前に写真を撮ろうとしたが、せっかくの湯気が見えないので、わざわざ玄関に出て、マンションの黒い目隠しの前で記念撮影をした。

そして鍋つかみをしながら、こぼさないように慎重に階段をのぼり、二階の仕事場に鍋を持ち込んだ。やはり熱々の鍋は、家の中で一番寒い部屋で食べるのがおいしいだろうと考えたのである。

「虹消えてすでに無けれどある如し」

文机の上のコピーの束に鍋を置き、茶碗に少しずつ具と汁を取りながら食べる。実にシンプルだが何の不足もない。火を通しすぎないシマチョウは適度な歯ごたえを残しながら柔らかく、甘さがキムチの辛さや酸っぱさと絶妙のハーモニーを奏でている。

汁を啜ると、ひとつもぼんやりとしたところのないクッキリとした旨さがある。こういう料理に出汁は不要だ。熱々の汁で身体を温めたところに室温の(すなわちキンキンに冷えた)にごり酒を口に入れると、酒粕のまろやかさがキムチの刺激を和らげてくれる。

ふと輪染みができた鍋敷きを見ると、俳人高浜虚子の私小説を図書館でコピーしたものだった。一連の作品は俳句の孫弟子である森田愛子との交流の記録でもあり、最も有名な『虹』は、愛子の住む三国(福井県)に虚子が立ち寄ったときのことを書いた話だ。

『虹』は、虚子が疎開先の小諸から「虹消えて忽ち君の無きごとし」などの句を書いた葉書を愛子に送ったところで終わっている。これだけ読むと心温まる話だが、これに続く作品で、愛子は29歳の若さで結核で死んでしまう。

生死の境を彷徨いながら、愛子は虚子に宛てて「虹消えてすでに無けれどある如し」と電報を打ち、最期に「先生におよろしく」と言い残してこの世を去った。美しく聡明な女性だったという。

74歳の虚子は「愛子の死を聞いた時は、私は別に悲しいとも思わなかった」と書いたが、それではどういう心持ちだったのだろう。そんなことをぼんやりと考えているうちに、せっかくの鍋はすっかり冷たくなってしまっていた。

 

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