メガネ型ルーペは中高年が「ひとりを楽しむ」ための必須デバイスである

メガネ型ルーペは中高年が「ひとりを楽しむ」ための必須デバイスである
古本店の100円コーナーで購入した『テロルの決算』

最近「ひとりを楽しむ」ために手放せないのがメガネ型ルーペだ。女優が尻に敷いてキャッと叫ぶアレである。いまやホームセンターには数千円の類似品が出回り、100円ショップにも見られるほどポピュラーになった。

メガネの上からメガネ型ルーペを掛けると、老眼でぼやけた手元がくっきりと明るく、大きく映し出される。そのとき、50歳を過ぎて無意識に億劫になっていたことがあったという事実に、初めて気づかされるのだ。

古本屋の文庫本が「宝の山」に

若い読者のために説明すると、老眼とは眼の衰えによって近くのものに焦点を合わせにくくなる症状を指す。近視の人はメガネを外せば焦点は一時的に近くなるが、そのまま長時間見続けるのは眼が疲れるので難しい。

老眼が進むと、スマホはもちろん、本を読むのも格段に面倒になる。「眼からのインプットを諦めざるを得ないのか」と絶望感を抱くほどだが、これは若いころには想像もできなかった類の災いである。

何を読むかにもよるが、本が読めなくなることは「信頼できる人の耳の痛い話が聞けなくなること」にも等しい。そうなると、人は自分の思い込みを修正できなくなり、謙虚さを欠いた夜郎自大になっていく。老眼で人が急速に老害化するゆえんだ。

手元に焦点を合わせるだけなら老眼鏡もあるが、メガネ型ルーペには眼に映るモノのサイズを拡大する機能がある。これが読書の負担をいっそう和らげてくれて助かる。若いころより読書がはかどっているのでは、と感じるほどだ。

幸いなことに最近は、古本店チェーンに安い文庫本が豊富にある。これがメガネ型ルーペで一気に宝の山になる。こんな道具が入手できる時代に生きていてよかった。中高年にとってパソコンやスマホに匹敵する画期的な「デバイス」になるかもしれない。

再読によって気づく自分自身の変化

メガネ型ルーペ_1
ルーペは視野が狭くなるので読書に集中できる

メガネ型ルーペによって老眼でも本が読めることが分かると、むかし読んだ本を再読したくなる。それは若いころと何も変わっていないつもりの自分の変化を、否応なしに自覚させられる行為でもある。

例えば、浅沼稲次郎暗殺事件の被害者と加害者の人生を綴った沢木耕太郎の『テロルの決算』(文春文庫)を20代で読んだとき、右翼少年・山口二矢の人物像と、犯行を可能にした当日の奇跡のような偶然の重なりを取材であきらかにする記述に強い衝撃を受けた。

一方の浅沼については、戦前戦後の状況に流されてしまう人間性の弱さしか頭に残らなかった。しかしこのたび読み返してみると、それはまったく若気の至りでしかなかったと気づく。

人は誰しも生まれ落ちた時代の中で、遺伝や生い立ちの制約を受け、人との偶然の出会いに翻弄されながら、挫折と救済を繰り返し、他人には理解しようのない重層的な時間を生きている。それは自分も例外ではない。

ふと読み差しの本から顔をあげ、メガネ型ルーペのレンズを跳ね上げて電車内の乗客を見回す。おそらくみな一皮むけば、それぞれがいろんな思いを抱えながら人生を積み重ねているのだろう。そんなことに、あらためて想像が及ぶ。

糸通しもボタンつけも楽しくなる

メガネ型ルーペでもうひとつ億劫でなくなったことがある。それは裁縫だ。先日もコートのボタンがゆるくなり、針と糸を買いに手芸店に行った。そこにはさまざまな美しいボタンが売っており、この際、全部新しいものに付け替えてみようと思い立った。

黒くツヤのあるボタンを切り離し、青いマット調の平たいものに変えた。糸も少しだけ明るめのものにした。メガネ型ルーペさえあれば、糸通しもボタンつけも楽しいものである。視界が明るければ、いくらやり直しても疲れない。

ついでに綻びたツイードのジャケットの裏地もハサミで形を整え、金色のミシン糸で繕ってみた。出来は上々で、なにしろ作業が楽しい。縫い方のコツならYouTubeに分かりやすい動画がたくさん載っている。あ、あと爪切りもかなり楽になるので、困っている方にはおすすめだ。

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