酒の勢いは怖い。体調が悪くても飲んでしまう~沖縄・東京二拠点日記(第10回)

酒の勢いは怖い。体調が悪くても飲んでしまう~沖縄・東京二拠点日記(第10回)
沖縄・那覇の夏の青空

沖縄が大好きなぼくは、10年ほど前から東京との間を往復する「二拠点生活」を送っている。那覇市内のマンションをもう一つの自宅として、沖縄の人々と交流しながら、フリーランスのノンフィクションライターとして取材し、原稿を書いている。そんな生活を日記風に書きつづる連載コラム。第10回は、体調が悪いのになぜかいつも飲むことになってしまう沖縄の日々を紹介する。

京都在住の友人との「おっさんシェアハウス」

【8月29日】 夕刻、羽田から那覇へ。2001年出版の拙著『人を殺してみたかった』を担当してくれた双葉社の箕浦克史さんと空港で合流。彼の沖縄出身のパートナーも一緒に、那覇市内の泊にあるモツ焼き屋「串豚」へ直行した。

そこで、作家の仲村清司さんと合流した。じつは仲村さんは20年間近く沖縄で暮らしてきたが、今は京都と沖縄の往復生活に切り換えている。那覇に来るときは、ぼくの家に泊まってもらう。ぼくがいないときでも使ってもらえるように、鍵を渡してある。ぼくも仲村さんの京都の家の鍵をもらっている。おっさんのシェアハウスみたいなものだ。

ちょうど今日から数日間、仲村さんがうちに泊まることになっている。仲村さんは先に那覇に着いていて、「串豚」で合流したというわけだ。仲村さんがしばらくぶりに那覇に来たということで、共通の友人たちがすでに集まっていた。

次々に友人・知人らが集まってきて、閉店するころには「仲村軍団」で店を占拠してしまった。常連さん、ごめんなさい。

仲村さんを含めて何人かがぼくの部屋に流れて、芋焼酎を呑んだ。

【8月30日】 昼前に起き出して、仲村さんと崇元寺跡のすぐ裏手にある「すうぎぃじー」という沖縄そばの名店へ。自宅を改装して店にしてあるせいか、居間で昼飯を喰っている気分になり、妙に落ち着く。

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宗元寺跡の石垣の前に立てられた「沖縄そば」ののぼり

「すうぎぃじー」とは「崇元寺(そうげんじ)」の沖縄方言での発音。崇元寺は琉球王朝の菩提寺で、いまも立派な石造りの門が残っている。敷地の中には当時からあったのではないかと思われるガジュマルの巨木が、真夏でも冷気と霊気が漂う空間をつくりだしている。ぼくは散歩ついでにこの中でぼんやりすることがある。

ちなみに、この並びには空手着で知られる守礼堂があり、その斜め前にはドイツ人空手家が営む「DOJO」という名前のバーがある。空手発祥の地・沖縄は、世界の空手家の「聖地」と化している感がある。店の前には本物の空手道場ができて、昼間に前を歩くと、外国人空手家がちいさな子どもたちに教えている。

「DOJO」バーのほうも世界中から集まってくる空手家が多い。何回かのぞいたことがあるが、屈強そうな外国人の男女が談笑していた。料理も国際色に富んでいて、おすすめの店である。

「すぅぎぃじー」で沖縄そばを喰ったあと、仕事部屋に戻った。ぼくが原稿に取り掛かると、仲村さんは、ぼくの蔵書の中の一角を占める白戸三平さんの作品を読み出した。「カムイ外伝」を選び出し、ずっと布団に寝転がって読みふけっている。

夜は日本酒を飲もうということになり、松山にある「酒月」へ。知り合いの朝日新聞記者も合流してきた。鹿児島から移住してきた店主の羽根田隆博さんがつくる和食はほんとうに美味い。帰り道にいつもの「串豚」へ顔を出して帰途についた。

酒で盛り上がった記憶しかない

【8月31日】 昼前ぐらいに起き出して、仲村さんと崇元寺通りにある「ヤマナカリー」へ。オープンしたてでありながら、すでに名店の風格が漂っている。那覇高校近くの人気店「ゴカルナ」から独立した店だが、あっと言う間に有名になって、オープンしてすぐに行かないと品切れになる。この日はオープンから十数分後に入店したが、カウンター2席しか開いていなかった。

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「ヤマナカリー」のカレー

カレーを喰ったあとは仕事場に戻る。ぼくは原稿書きをして、仲村さんはあいかわらず「カムイ外伝」。日も暮れかけてきたので、栄町市場内にある「おとん」へ二人で顔を出す。小一時間ゆるりと呑んで、ぼくは「ブーシェ」というホルモンフレンチの店へ移動した。

ここで、ぼくの新著『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』の発刊トークライブのゲストとしてお願いしている教育学者の上間陽子さんと社会学者の打越正行さんに会う。打越さんとは面識があるが、上間さんとは初めて。

上間さんの著作『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』は、文字通り、沖縄のキャバクラなどで働く少女たちの実態を調査したものだ。彼女たちの背景にあるものは、若年結婚、夫や恋人のドメスティックバイオレンス、アルコール依存症、家族との不仲など、すべて共通している。

上間さんは彼女たちに聞き取った内容を整理して読み聞かせるという「トランスクリプト」という手法をとった。すごいなと思う。

食事をしながら打ち合わせをするつもりだったが、上間さんが豚脳のパイ包み(セルベル)をいたく気に入って、ワインを4本もあけてしまった。上間さんが指摘した若い世代の「問題」を責めたり、否定するのではなく、大人や社会の側がそれを受け入れ、ケアをする仕組みづくりが今の沖縄には求められている気がした。

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筆者(左)と教育学者の上間陽子さん(中)と社会学者の打越正行さん(右)

その後、FMラジオディレクター兼カメラマンの深谷慎平くんも合流して、さらに近くの立ち飲み屋「トミヤランドリー」に移動して飲み続けた。やたら盛り上がった記憶はあるのだが、何を打ち合わせたのか、誰もが記憶をなくしていた。

そういえば、トミヤに移動する間に、栄町ではまだ新顔の国産高級ウイスキーのバー「枯渇」に寄った。4~5席しかない静謐な店だ。バーテンダーは無口で緊張感が溢れている。でも、厭みな人ではない。特別なウィスキーを静かな空間で味わってほしいという意思が明確に体現されたストイックなバーだ。

何度か来たことがあるが、今回は打越さんがいきなりカウンターで寝てしまった。バーテンダーはたぶん打越さんが起きるのを待っていたのだろうが、打越さんは起きない。ぼくが苦笑いして「今日は帰りますね」と告げると、バーテンダーは静かな口調で表情を変えずに「はい、お帰りください」。また、寄ります。

一冊の本の裏に多くの人の協力がある

【9月1日】 朝方、仲村さんは京都へ帰るため、那覇空港へむかった。刷り上がった『沖縄アンダーグラウンド』が10冊、東京の講談社から那覇の自宅に届いたので、取材で世話になった普久原朝充くんと榮町のイタリアンバル「アルコリスタ」で待ち合わせて、本を渡した。

普久原君と仲村さんとぼくの「三バカ」で、これまで『沖縄オトナの社会見学 R18』や『肉の王国 沖縄で愉しむ肉グルメ』の二冊をつくってきたが、建築家で博学かつ聡明な彼の存在がなければ、『沖縄アンダーグラウンド』はできなかったと思う。

そのあとも一人で「おとん」と「すみれ茶屋」に寄り、両店の主に本を手渡す。「おとん」の池田哲也さんは店にサイン本を置いて、客に宣伝して売ってくれる。「すみれ茶屋」の玉城丈二さんも客にメールで宣伝しまくってくれる。一冊の本ができあがるとき、多くの人の力を借りていることを実感する。

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「おとん」のマスター池田哲也さん(左)と筆者

【9月2日】 具合が悪い。那覇に来てからずっと呑んでいるので、胃腸の調子が悪いし、身体は重ダル。仕事場に買い置きしてあるインスタント麺などをちょっとだけ食べて、ずっと横になっていた。ライ・クーダーの『パリ テキサス』をずっと流していた。本を読む気にもならず。

【9月3日】 体調はようやく、ちょっとだけ回復。メールを書いたり、インタビューの文字起こしをしたりしているうちに夕方になる。ハラが減ったので、一人で「串豚」へ。そうしたら「おとん」のマスターの池田さんがあらわれたので飲みだす。体調が昨日まで悪かったのに・・・。

自分をさいなみながら、絶品のモツ串とホッピーを口に入れる。そして勢いがついて、オープンしたばかりの「福岡アバンギャルド」へ。福岡の有名店が那覇に進出したのだ。豚の肺を他の臓器といっしょにチリトリ鍋で煮込む。じつにおいしい。

そうしたら、那覇にきていた双葉社の箕浦さんから電話があり、「トミヤランドリー」で会社のスタッフと呑んでいるから合流しませんかとお誘いが。いつも世話になっている双葉社の面々。酔って元気になってしまい、トミヤで彼らと合流した。

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「トミヤンドリー」のモツ盛り合わせ

店に行ったら、テレビのスタジオ等のデザインをしているデザイナー宝田幸子さんともばったり。酒の勢いは怖い。彼女もいっしょにミャンマー料理の「マンダレー食堂」へ移動。ここは、主の松田長潤さんとミャンマー人の妻リンさんが始めたばかりの店だ。ミャンマーと沖縄の味をミックス&アレンジした料理を出す。

そこからさらに、斜め前の「ハイサイ酒場」へ行く。勢いは止まらない。居酒屋の「アラコヤ」が営業を定時で終えた後に、入り口だけで飲めるバーをやっているので、宝田さんとそこで一杯。そのあと一人で「琉家」でラーメンを喰ったことは、翌日、目が覚めてもしばらく思い出せなかった。つくづく反省のない自分である。

【9月某日】 『沖縄アンダーグラウンド』の見本を持って、沖縄県内の本の取次会社をまわり、傘下の書店に置いてもらえるようにお願いする。「取次まで挨拶に来る著者の方はいませんよ」とびっくりされる。後日、手作りのポップを何十枚か用意して送った。

著者がこのような草の根活動をしなければ、ノンフィクションは生き残っていけないというか、売れない時代になっている。取材して、本にして、はい終わりというご時世ではない。

初版部数もどんどん抑えられる傾向が強まっているからこそ、本の流通や宣伝の細部にまで著者が入っていかなければいけない。出版社まかせではだめなのだ。新人演歌歌手の気持ち。

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