レアポケモンのゲットより難しい! 都会でひとり「黙考」できるスポットを探して歩く

東京の街はどこに行っても人だらけだ

毎朝毎朝、銀色の箱(デンシャ)の中へギュウギュウ詰めに押し込まれる。菓子工場のキャラメルのように所定の場所へ運ばれていく僕。駅に到着すると今度は灰色の箱(オフィスビル)へ向かい、小さな白い箱(エレベーター)に飛び込む。重力に逆らって、上へ、上へと運ばれる。

灰色の箱の中で3時間ほど過ごすと、ランチタイムが訪れる。ようやくホッと一息できる時間が訪れたかもしれない。また小さな箱に飛び込むと、ギュウギュウしながら下へ下へと向かい、外に出る。だが、そこはまた人だかりのラッシュアワーだ。うーん、全然ホッとできないぞ。休息にならないぞ。

大都会・東京で働きはじめてから20年が経った。弱音は言いたくないけれど、ちと疲れた……。

都会の人ゴミに飲み込まれるのは、ここ最近に限ったハナシでない。朝も昼も夜も、駅や交差点で多くの人とすれ違う。朝は能面のような表情の、スーツ姿のオジサンたちと袖振り合う。僕自身もそんな「オジサン」なんだなと思う。

毎朝、仕事場に運ばれていく都会の働く者たち

シゴトの合間に気分転換で外を歩いてみても、目にする風景は灰色の建物や車など無機質な物体ばかりで、青い空や白い雲は目に入らない。街で耳にする音は、自動車か工事現場の「騒音」ばかり。喫茶店にでも入ってリフレッシュしようとすると、今度は近くのテーブルから、喫煙しながら会社の愚痴をこぼすオトコの声や怪しい金融商品のセールストークなど、別の「雑音」が聞こえてくる。

どうやら都会の生活というものは、五感を通じて、知らず知らずのうちに疲れをためていってしまうようだ。

そこに、ここ数年のデジタルデバイスの進化が追い打ちをかける。一日中スマホを見ていると、脳内に大量のムダなテキストデータが詰め込まれていくような気がする。常に僕はデジタルセカイに接続/拘束されていて、気づかないうちに脳内が何かに蝕まれていく。

都会にも「ひとりになれる場所」が必要だ

脳からのSOSが発信されている――。そんな気がするのは、僕だけだろうか。そろそろ、僕の脳の休息のために、何らかのソリューション(解決策)が求められているのだ。

僕にとって必要なのは、この都会で「ひとりになれる場所」だ。

僕が生まれ育ったのは、茨城県牛久市。駅周辺や住宅街を除けば、田園風景が広がる自然あふれる場所だった。都会に憧れて上京したが、就職活動で人生の壁にぶつかったとき、ひとり自転車に乗って、森に囲まれた近くの川に向かったこともある。

故郷の茨城県には、のどかな風景が広がっていた

川沿いに田園が広がり、トトロが住んでいそうな森が大きくそびえる。その森の入口に小さな丘があり、その丘に登ると、風にそよぐ木々の音や鳥のさえずりが聴こえてくる。当然、車や電車の音なんて聞こえないし、人が通る気配も一切ない。

誰もいない静かな場所で、人生について深く黙考した記憶がある。それは、まだ若きウェルテルの悩みではあったが、不惑の齢を迎えた今、その丘と似た「黙考スポット」が僕には必要なのかもしれない。

隠れた「黙考スポット」はグーグルでも検索できない

しかしながら、その黙考スポット、すなわち、「働くオトコのパワースポット」をこの大都会で見つけることは困難を極める。地下鉄での移動を徒歩に変えて、自分の足で探すほかない。

当然ながら、駅の近くや大通り沿いではそんな場所は見つからないので、人の流れから外れたルートを通って路地に入る。それはまるで、都会で異世界への入り口を探すようなシゴトだ。レアポケモンをゲットするよりも難しい。特に僕が仕事でよく行き来する港区、渋谷区、中央区などの都心部においては、まるで「砂漠に咲く花」を探しているような気分になる。

丘の上から田園地帯を見下ろす。田舎では当たり前の風景だが・・・

それでも3年ぐらいかけて、細切れ時間を使って普通ならば行かないような路地を歩き回り、少しずつ隠れた「黙考スポット」を見つけ出すことができた。人の流れに逆らって、漂いながらしかたどり着くことのできない場所。そんな秘密の場所を、ひとりを楽しむメディア「DANRO」で少しずつ紹介していきたい。

それは、路地裏の小さな公園や神社・寺院、川のほとり、寂れた喫茶店など・・・。そんな隠れた黙考スポットはグーグルでも検索できないし、アマゾンでも買えないものかもしれない。

自分自身の勤務場所や勤務時間といったシゴトスタイルに合わせてパーソナライズされた「都会のオアシス」。その貴重さを伝えていきたい。

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