「中学生バンドの高揚感はいまも続く」 アメリカで「日本映画祭」仕掛けるロック中年

アメリカでイベントプロデューサーとして活躍する河野洋さん

「毎日毎日、違う人に会うのってすごく楽しい。同じ人と会ってると同じアイデアばかり入ってくるからマンネリ化するんです。でも、違う人と話してると違う視点がどんどん出てくる。自分の中の今まで眠っていた扉がどんどん開いていく」

イベントプロデューサーとして、アメリカのニューヨークを拠点に活動している河野洋さん(51歳)の言葉です。映画祭や写真展、講演会など、ニューヨークで開催されるさまざまなイベント会場には、たいてい河野さんの姿があります。

1年365日、必ず外に出かけて行って人と会うという河野さんのデータベースには、3000人もの名前が並んでいるとか。そのほとんどの人たちと実際に会っているというところに、尋常ではないパワーを感じます。

中学の発表会でロックを演奏したときの高揚感が続いている

名古屋のロック少年だった河野さんは、中学生のとき、ロックを知らないまわりの友だちにロックの魅力を伝えてバンドに引き入れ、学校の発表会で演奏しました。

「ディープパープルもやったし、アイアン・メイデンなどのヘビメタもやった。そのときの高揚感がずっと続いてる」

一時帰国したときに名古屋のスタジオでバンド仲間とリハーサルする河野さん(左)

高校に入ると、バンドマンになろうと決意。レストランの皿洗いやウエイターなどのアルバイトを始めたのもこの頃です。やがて、「社会に出たほうがだんぜん吸収できるものが多い。学校で言われるままに勉強しているより、自分のやりたいことは自分で決めたほうが、お金ももらえるし生活していける」と考えるようになり、高校を2年で中退します。

その後はバンドマンの活動をしながら、レンタルレコード店やカラオケ教室のアシスタントとして働きました。

「曲の頭出しとか、マイクのボリューム調整とか、エコーをかけるとか。そういう裏方仕事だったんですが、今思うと、イベントプロデューサーに必要な、みんなを引き立てる裏方のノウハウは、ここで培ったのかもしれません」

もしかしたらスターになれるかも!

22歳のとき、3ヶ月間のアメリカ一人旅を敢行。サンフランシスコで大きな刺激を受けます。「それまで聞いていた音楽やスクリーンで見ていた映画の世界が、生で体験できた。英語を話しているのを見ているだけでも、すごい楽しくて」

かねてから25歳になったら海外に移住しようと考えていましたが、アメリカでの体験は鮮烈で、帰国後、海外への憧れがどんどん膨んでいきました。しかし、アメリカに住むためにはどうしたらいいかわかりません。

そんなとき、名古屋で河野さんのライブ演奏を見に来ていたアメリカ人女性と知り合ってつき合うようになり、なんと、一緒にニューヨークに移住することに。24歳でその女性と結婚。河野さんの海外移住計画は、こうしてトントン拍子に実現していきました。

ニューヨークに来ると早速、「ビレッジ・ボイス」というローカル紙でバンドマンの募集を探して、オーディションを受けました。晴れてバンドマンになると、2週間後にはもうライブの本番。以来、ニューヨークやコネチカットを拠点に、年間100本近くのライブをこなし、レコーディングも経験しました。

友人のケルティックメタル・バンド「BELLFAST」のライブにゲスト出演。河野さん(右)にとっての名古屋での凱旋ライブとなった

そのときのプロデューサーはピーター・デネンバーグという人物で、「スピン・ドクターズ」というロックバンドのレコードをプロデュースして、大ヒットさせていました。「もしかしたら僕もスターになれるんじゃないかと思って、一生懸命やってました」

ミュージシャンからイベントプロデューサーへ

ところが、2年間所属したバンドは、1994年にバンドリーダーの一声であっけなく解散。バンドを続けるなら自分が主導権を握らないとダメだと悟った河野さんは、1人でもやっていけるクラシックギターに転向したのです。

プライベートでは2人の女の子のパパになり、「子供たちに何か残してやりたい」と、自作自演でレコーディングを行いました。その作品をレコード会社に持ち込もうと思ったときに頭をよぎったのが、「アジア人がアルバムを作ったって、契約なんかしてくれないだろうな」という思い。「じゃあ、自分でレコードを作ろう」とレコード会社を立ち上げます。

すると、次第に「アルバムを出したい」という音楽仲間が集まってきました。しかし、アーティストが増えれば増えるほど、プレスやプロモーションでお金は出て行きます。一方で、レコードは売れない時代に。なんとかしなくてはと思ったときにひらめいたのが、イベントプロデュースを仕事にすることでした。コンテンツを決め、会場を探し、客層を考え、アーティストのスケジュールを管理しながら、プロモーションしていくのです。

河野さんは2008年からこの仕事を本格的に始めます。初めは音楽のイベントだけでしたが、他にも同じノウハウを応用できると考え、映画祭、講演会、ワークショップ、写真展などへとイベントの枠を広げていきました。

2018年に開催された7年目の映画祭「New York Japan CineFest」の舞台挨拶に登場した河野さん(右)(写真提供:中山百)

そのひとつで、2012年にスタートした「ニューヨーク・ジャパン・シネフェスティバル」は1年目から立ち見が出るほどの盛況となり、毎年の恒例イベントに成長。今ではニューヨークだけでなく全米に開催地を増やし、新しい日本映画の紹介に貢献しています。

毎日違う人と会うことが「ひとりの時間」につながる

4年半前、河野さんはバツイチになりました。「独身は自分がやりたいことに限りなく打ち込めるのがメリット」だと言うものの、結婚に懲りたわけではなく、パートナーはいたほうがいいし、また結婚するかもしれないと言います。

「ひとりでいると不安定になるんです。落ち込むときはとことん落ち込むので、客観的な視点を与えてくれる人がいると、とても助かります」

「The Spectres」のメンバーとしてリードギターを担当。コネチカットの教会でリハーサルする河野さん(左から二人目)

パートナーがいても、ひとりの時間はもちろん必要。でも、ひとりで過ごすのではなく、毎日違う人と過ごすことこそが「ひとりを楽しむ」ことにつながるという河野さん。「イベントがあると、パートナーと離れてひとりになります。外に出て行って人に会うことが、逆に強制的にひとりの時間を作ることにもなるんです」

インタビュー中、河野さんからは何度も「楽しい」という言葉が聞かれました。ロック少年だった頃から、自分で選んだことは何でも楽しんで一生懸命やってきたことが伝わってきます。

とはいえ、これまで幾度となく、行く手を壁に阻まれたこともありました。でも、そこで必ず次につながるヒントを見つけては、それを掴み取って次のステージへと進んでいます。ピンチの裏にはチャンスが隠れていることを、本能的に知っている人なのでしょう。

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