「はぁ? 無視!?」 夫婦ゲンカ中の「シカト」はさらなる炎上を招くのか?

「はぁ? 無視!?」 夫婦ゲンカ中の「シカト」はさらなる炎上を招くのか?
(イラスト・古本有美)

私は現在49歳。結婚したのは24歳のときだ。女房は23歳だった。結婚後しばらくして、私は会社を辞め、カメラマン兼ライターとして独立した。早いもので来年で25年、銀婚式を迎える。

四半世紀も一緒に暮らしていれば、ケンカすることだってある。3年ほど前に女房がフルタイムで働くようになってから数こそ減ったものの、いまもときどきケンカする。世の中の夫婦の大半がそうであるように、きっかけはいつも些細なことだ。

原稿を書き終えた解放感に水を差す「女房のひと言」

フリーランスの私は、仕事場を兼ねた自宅で原稿を書くことが多いのだが、その日はどうも調子が乗らず、時間だけが過ぎていった。このままダラダラと続けていても、面白い原稿は書けない。そう判断してパソコンから離れ、録りためたドラマを見て過ごした。

翌日、朝からパソコンに向かうも、やはり集中できない。書いている途中で止めてしまうと、ゼロからではなくマイナスからのスタートになる。マイナスからプラスへと、モチベーションを大きく上げねばならないのである。その方法はさまざま。意味もなくカメラを触ったり、散らかり放題の仕事場を片付けたりして徐々にギアを上げていくのだ。

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仕事場でパソコンに向かっても、原稿が進まないときはつらい

この日はソファで横になって、文章の構成を考えているうちにエンジンがかかった。こうなれば、私は仕事が早い。約3時間、机から片時も離れず、集中力を発揮して無事に原稿を書き終えた。

執筆に苦労すればするほど、書き終えた後の解放感はハンパではない。大袈裟かもしれないが、42.195kmを完走したマラソンランナーやキツイ減量をして試合に挑み、勝利をつかんだボクサーと同じだと思っている。明日は完全オフにして、以前から行きたかった長野県の善光寺へ一人旅をしようと心に決めた。

善光寺周辺の観光やグルメの情報をググっているうちにお腹が空いてきた。そういえば、まだ昼食をとっていなかった。

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原稿が書き上がってしまえば、解放感にひたりながら好きなことができる

この日、女房は休みで自宅にいたが、リビングへ行くと姿が見えない。寝室で夏物と秋冬物の服を入れ替えていたのだ。毎年、10月か11月の頃に「来年は着ない」と思う服を捨てている。

女房は私を見るなり「どれを捨てるか教えて」と聞いてきた。原稿を書き終えた解放感に水を差された私は不機嫌になり、「全部とっておいて」と答えた。だが、それでは量が多すぎて衣装ケースに入らないと、女房が言う。

この時点で私のイライラは最高潮に達した。

「じゃあ、全部捨てろよ!」

そう言い放つと、リビングへ戻って一人で昼食を済ませたのだった。

つまらない意地が邪魔をして謝ることができない

不思議なもので、腹が膨れると怒りもおさまってくる。服の入れ替え作業を中断してリビングに来た女房に向かって、何事もなかったかのように話しかけた。

しかし、女房はシカト。その表情は能面のようだった。「はぁ? 無視!?」と、思わず叫んでしまった。戦争や紛争の解決は話し合いが基本である。シカトという行為は、それを拒んでいるということだ。

完全に私はブチキレた。いや、それがオカシイのは十分にわかっている。モラハラだのパワハラだの言われるのも覚悟している。しかし、このときは自分をコントロールすることができなかったのだ。この日はお互いに口を聞かないまま床に就いた。

翌朝、女房が目覚める前に家を出て、長野県の善光寺に向かって車を走らせた。天気は快晴。絶好のドライブ日和である。お気に入りの音楽を流しながら、高速道路を飛ばすうちに曇っていた心に光が差し込んだ。

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車を飛ばして、ひとりで訪れた善光寺

長野インターの直前にある松代PAに立ち寄ったとき、りんごや栗など地元の特産品を使ったお土産が目に付いた。思わず手に取ったのが、テディベアの形をした栗あんのモナカ。愛くるしいビジュアルは女房の好みのど真ん中。買って帰ったら喜ぶだろうな…。そう思った直後にケンカ中であることを思い出した。

お土産が仲直りするツールになるかもしれない。でも、どうやって渡すのか。その答えが出せないままレジへ持っていった。

後から気付いたことだが、この時点で私は、女房のことを赦(ゆる)していた。というか、今回のケンカは私に非があるのは明白である。ただ、つまらない意地が邪魔をしていて素直に謝ることができないのだ。だから、旅の終わりが近づくにつれて、女房と顔を合わせたくないと思った。

そこで帰路は高速を使わず、一般道を走ることに。しかも、途中で岐阜県高山市でラーメンを食べたり、スーパー銭湯に立ち寄って時間を潰したり。帰宅したのは、夜12時すぎ。案の定、女房はすでに床に就いていた。明日はどうしようかと考えながら私も眠った。

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長野と言えば「そば」。ひとりで地元の味を堪能した

翌朝、女房の表情から怒りはすっかりと消えていて、「おはよう」と普段通りに話しかけてきた。しかし、私のほうは、まだ心の準備ができていない。どう答えてよいのかわからず、それをシカトした。正直、シカトされる気持ちを味わってみろ、という思いもあった。

お互いに無言で朝食を食べ、女房は「いってきます」も告げないまま仕事へ出かけた。これはどう考えてもマズイ状況である。

夜7時半頃に女房が帰宅。いつもは「ただいま」と私の仕事場に来るのだが、リビングへ直行した。やはり、怒っているのか。そう思うと、消えていたはずの怒りに再び火がついた。こうなりゃ根くらべだ。

シカトされたことが頭を冷やすきっかけに

先に折れたのは、女房だった。「夕飯ができたよ」と仕事場へ呼びに来たのだ。ここですべてを水に流せばよいのだが、それができない私のバカさ加減。黙ってリビングへ行き、終始無言で食事。本当に私は面倒くさい奴だ。いい加減、そんな自分自身にも嫌気が差してきたので、意を決して、お土産を渡そうと思った。

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ドライブの途中で買った長野のお土産

ただ、どうしても、何事もなかったかのようには振る舞うことができない。結局、無言で渡すことに。それでもお土産を見た女房は素直に喜んだ。善光寺へ行ったことすら知らなかったので、「どこで買ったの?」など、あれこれ聞いてくる。

私もこれ以上は無言を貫き通すことができない。が、なぜ生産性のないシカトという行為をしたのか女房に聞きたかった。原稿を書き終えた解放感を邪魔されたのは、もうどうでもよい。シカトするという今まで用いなかった武器によって受けたダメージが大きかった。それをわかってほしいがために、私もシカトしたのだ。

「口を開くと、ケンカがエスカレートすると思ったから」と女房。たしかに、それも一理ある。結果的には、私が行き先も告げずに一人旅をする形になったことで、冷静になれたのもよかった。

結局は女房が一枚も二枚も上手だったということか。これからはケンカが激しくなりそうな場合、途中でバッサリと打ち切って頭を冷やすことにしよう。って、頭に血が上った状態ではムリか。でも、努力はしてみようと思う。

こうして3日間にわたるケンカは終わり、わが家に平和が戻った。しばらく経って、今回のケンカでは、私も女房も、謝っていないことに気が付いた。今の世の中、白黒をハッキリさせて、非があるほうにやたらと謝罪を求めるムキがあるが、離婚訴訟で争っているわけじゃあるまいし、夫婦ゲンカにそれは必要ないのではないか。

今回、私自身の器の小ささや面倒くさい性格をさらけ出してしまっただけに、何の説得力もないだろうが、人を「赦(ゆる)す」ことができる者こそが幸せになれるのだと思う。

そもそも完璧な人間なんていないのだ。妥協しながらつき合っていくのではなく、全面的に赦すのだ。いちばん身近な女房や夫を赦ことができない者が、他人を赦せるわけがない。結婚とは、相手を赦すための「トレーニングの場」でもある。私はそう思っている。

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