ひとりで「喰う、寝る、読む」〜沖縄・東京二拠点日記(第4回)

ひとりで「喰う、寝る、読む」〜沖縄・東京二拠点日記(第4回)
沖縄・那覇の蔡温橋のたもとにある巨大シーサー

大好きな沖縄と東京の二拠点生活。10年ほど前から毎月一人で那覇に行って、一週間ぐらい過ごして、また一人で沖縄を離れる生活を続けている。沖縄のあらゆることを楽しみながら、沖縄で取材して原稿を書き、目の前で起きるいろいろな問題に直面して悩む。そんな日々の生活を日記風に書きつづる。第4回は、沖縄が「慰霊の日」を迎えるころ、6月後半の暮らしの様子を記す。

沖縄でどうやって生きていくのか

【6月某日】 朝方目が醒めて、ソーメンを少し茹でて食べて、また寝てしまった。何時間眠っただろう。でも、惰眠をむさぼれるのは幸せ。夕方、空腹で目が覚めた。

今日は、ドキュメンタリー監督の松林要樹さんと会う約束をしていたから、シャワーを浴びて、いつもの泊の「串豚」へ。彼はブラジルやタイなどで暮らしてきて、一年ぐらい前、沖縄に移り住んできた。

彼が沖縄に移り住もうとするころ、ぼくはたまたまバンコクで、『バンコクナイツ』や『国道20号線』、『サウダージ』で知られる映画監督の富田克也さんから、「松林が行くからよろしく」と言われていて、会うのを楽しみにしていた。というのは、松林さんのドキュメンタリー『花と兵隊』や、ノンフィクション『馬喰』(河出書房新社)を知っていたからだ。

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ドキュメンタリー監督の松林要樹さん(左)と筆者

沖縄に来てもすぐには仕事がなく、さまざまなサバイバルをして生活をしていると、彼は言った。沖縄でどうやって人間関係をつくり、生きる糧を得て生きていくかという気迫のようなものを、全身から発しているようだった。世界の辺境を歩いてきた彼の本能のようなものだろうか。サンパウロの沖縄人社会の話がおもしろかった。

しばらくすると、普久原君も合流してきたので、栄町へ移動。隠れ家的な名店「ル・フージュ」に入った。大城忍さんがオープンしてからずっと通っている。ふだんは予約なしでは入れない人気店になったのだけど、めずらしく客は少なかった。店の奥に知った顔があった。ジュンク堂書店の森本浩平店長。地元の関西の後輩の人たちと飲んでいた。その席に合流させてもらう。

森本さんたちの連れの女性が沖縄そばを食べたいと言う。居酒屋「栄町ボトルネック」で、ヤカンから出汁を注ぐスタイルの沖縄そばを食べようと、公設市場の中を千鳥足で歩いたが、休みだった。ちょっと前に「唐人そば」を食べた「月桃」の安里店があるのでそこに行くと、5~6人しか入れない狭い店内にちょうど入ることができた。そこで、初めてカレー沖縄そばを食べた。

「喰う、寝る、読む」だけの一日

【6月某日】 毎夜の酒がたたり、からだが重だるだ。それでも空腹を覚えて朝方目が覚めたので、作り置きのカレーをご飯にかけてすこし食べた。

那覇にくると、初日あたりに近所のスーパーで野菜を買ってきて、カレーを何日分かつくることがある。地野菜もなんでもぶっこんで野菜カレー。で、ダルいのでトム・ウェイツを聴きながら寝てしまった。

気づくと夕方5時。一人の時間はたいがい、だらしない自由だ。書評を書くつもりで読んでいた『評伝 島成郎 ブントから沖縄へ、心病む人々のなかへ』(筑摩書房)を読みながら寝てしまった。二つの人生を経る生き方というのはこういうことを言うのだなと引き込まれていたが、気づくと深夜だった。沖縄にいるときは、どこにも行かずに「喰う、寝る、読む」だけのことも少なくない。

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ミャンマー料理のマンダレー食堂

【6月某日】 朝、目覚めて、作り置きのカレーをすこし食べる。たまには古典を読もうと、レチフ・ド・ラ・ブルトンヌが、フランス革命下のパリを徘徊して書いた『パリの夜』(岩波文庫)を開いたが、集中できない。「くるり」をかけながら寝てしまい、夕方に起きる。

「マンダレー食堂」というミャンマー料理の店へ出かける約束があり、あわててシャワーを浴びて、ひめゆり通りを大道方面へ島ぞうりでペタペタと歩く。

沖縄の地魚と泡盛を味わう

【6月某日】 今日はひとり、本を読むことにした。与那原恵さんの『帰る家もなく』。著者の流れるような文体で旅の記憶が綴られていく。味わうように読む。

つくりおきのカレーがなくなったので、夕方になると、歩いて数分のところにある「すみれ茶屋」へひとりで向かった。この店の外観はぼくの知る中でもっとも入りにくいオーラを出している。ちょっと前まで引き戸が壊れていた。いまは直したが、前の引き戸の重さが他人を拒むかのようだった。この店は沖縄の地魚をいろいろな方法で食べさせてくれる。

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すみれ茶屋のマスター、玉城丈二さん

たしか10年ぐらい前に初めて、酔った勢いで重たい引き戸を開けた。すると初老の常連らしき男ばかり。いきなり見知らぬ客が入ってきたので、驚いたようだった。その日からマスターの玉城丈二さんと仲よくさせてもらうようになった。丈二さんは大分県の日田で長年、料理人として働いてきた。

思えば、ぼくが初めて魚のマース煮を食べたのは、糸満に10日間ほど滞在していたときに毎日のように通った、漁師が経営している居酒屋だった。塩だけで煮込んだ近海魚を食べて刮目した。沖縄ではから揚げにするものだと思い込んでいたからだ。大きな間違いだった。塩だけでさっと煮たカタカシという地魚の美味いこと、美味いこと。

「すみれ茶屋」の丈二さんにはいつも地魚のビタロウやアカマチを島豆腐とアーサーといっしょに煮てもらう。刺身ももちろん美味い。独特のクサみがある脂身が美味いチヌマンも、煮ても刺身もイケる。脂身を味わうには焼くのがいい。焼くとボヤのような煙が出る。カウンターでひとり、その日のおすすめ地魚を丈二さんが次々に出してくれるので、泡盛「万座」といっしょに味わう。

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沖縄の地魚チヌマンのマース煮

中学生の「平和の詩」に涙する

【6月23日】 慰霊の日。名古屋に移動しなければならなかったので、沖縄にいることができなかった。名古屋のホテルで、中学三年生の相良倫子さんが沖縄全戦没者追悼式で読み上げた「平和の詩」を読み直して泣いてしまった。一部を引用したいと思う。

<(前略)私の生きる、この今よ。

七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。
手をとり合って生きてきた、
私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。
あたり前に生きていた、あの日々を。(後略)>

ネット報道を見ると、目の前で不機嫌そうな顔をした安倍晋三首相が写っていた。どういう思いで聞いたのだろうか。あるいは、心はここにあらずだったか。

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