「ひどい目にあったけど思い出せない」暴力にさらされ続けた女性の告白

「ひどい目にあったけど思い出せない」暴力にさらされ続けた女性の告白
理不尽な暴力にさらされ続けてきたというキョウコ

「高校生の頃に、ひどい目に遭ったんですよね。でも、思い出せない。話してるうちに思い出せるかも」

女装する小説家・仙田学が「女性の自由と孤独」をテーマに女性のリアルを追求するこの連載。第2回は、理不尽な暴力を受け続けてきたキョウコ(43)に、こどもの頃から順を追ってその壮絶な体験を聞いた。

妻であり、母親であることの閉塞感~女性の自由と孤独(第1回)

一番古い暴力の記憶

「5歳の頃、知らないおじさんからお花畑に行こうって手を握られたことがあります。手がじめっとしていて怖かった。走って逃げたら、追いかけてはきませんでした。一番最初の性被害は小1のときだったと思います。同級生に男子トイレに連れ込まれました。服の中に手を入れられて、とてもショックでした」

一番古い性暴力の記憶は?と聞くと、キョウコはしばらく考えてからそう返した。その口調はどこかふわふわとしていて、「怖かった」「ショックだった」と言いながら、まるで遠足の思い出でも語っているかのようだ。

「あと、夕方に公園で友達と遊んでいたら、後ろからいきなり棒で殴られたこともありますよ。バットみたいなものを持って、走って逃げていく学ランの男の人の後ろ姿が見えました。『こんなことはよくあるから大丈夫』って、自分に言い聞かせました。大げさに言ってるって思われるんじゃないかと、家族にも話せませんでした」

赤の他人から通りすがりにバットで殴られる。強烈な体験だが、キョウコにとっては「日常の一部として受け止めなければならない」ことだったのだろう。その感覚を私は自分のことのように感じることは難しいのだが、家族にケガを隠そうとしたことはある。

子どもの頃にベッドから落ちて、床にあったおもちゃに顔面をぶつけ、額から出血したときのこと。夕食の時間になっても降りてこない私を心配した母親が部屋に入ってこようとしたのだが、内側からドアを押さえて「なんでもない、なんでもないよ!」と私は叫んだ。家族に心配をかけたくない、などの考えはなかった。傷を負った自分の姿を他人の目にさらすことが、本能的に怖かった。「たいへんなことになった。見つかったらどうしよう」という恐怖感だ。

「言ってはいけない後ろ暗いこと、っていう感覚でしたね。だから家族にも言わなかった。というより、大したことだと思ってなかったのかもしれません」とキョウコはうなずいた。

思い出話のように語る暴力被害

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セクハラやストーカー被害に遭ったキョウコ

キョウコはセクハラやストーカーの被害にも遭ったという。

「そういえば中学生の頃から、ストーカーにも悩みました。20年間くらい。相手はクラスメイトの男の子。いじめられていて、対人恐怖症気味の子でした。掃除のときにモップを渡したのがきっかけで、それからずっとつきまとわれてました。帰り道で後ろをつけられたり、インターホン越しに『お宅のお嬢さんブルセラしてますよ』って叫ばれたり。ビール瓶を投げつけられたこともあります。でも被害に遭ってるって感覚自体、なかったです。

高校時代には、体育教師からどさくさにまぎれて胸を触られました。スキー合宿のときに、後ろから抱きつかれたんですけど、ああまたかと思いました。その頃にはもう、周りには何も求めなくなってましたね。だから誰にも言わなかった。嫌だと言っても、やる人はやるんだと。諦めました」

ストーカーやセクハラの被害について、キョウコが実際にどんなことをされて、どんな感情だったのかということを、私は掘り下げて聞いてみようとしたが、キョウコの口から出てくるのは、そのような被害を受けたことがあるという、漠然とした思い出話に留まっている。理不尽な暴力にさらされ続けてきた女性の、等身大な姿とはこのようなものなのかもしれない。

セクハラ・パワハラ・いじめ絡みの告発や謝罪会見がニュースになる一方で、似たような被害に遭いながら声を上げられなかった人たちもいる。上司や教師、親などとの関係性の中で抑圧されて声を上げることができなかった人もいれば、声を上げてはならないと自らを抑圧してしまっている人も多いのではないだろうか。

キョウコの話が漠然とした思い出話に聞こえるのは、自らその体験を抑圧しているからかもしれない。だとすれば、抑圧せざるを得なくなった原因はどこにあるのだろう。私はキョウコの家庭環境が気になった。

「両親は40代で私を出産しました。大切に育ててくれたと思いますけど、いつも気を遣っていたかな。距離感がありました。姉がひとりいるんですけど、姉の立場が強かったんです。姉が見たいテレビがあると、『ひとりでご飯食べてきて』と言われて、2階でひとりで食べてました。両親と姉は下で一緒に食べるんですけど。いまでも、親と話さないといけないときは緊張します。好きだけど、親しくはないって感じです」

思い出せない暴力の体験

キョウコは高校生のときに初めて性体験をする。それは自分らしくあることを諦めることだった、とキョウコは言う。キョウコの中で、性は諦めの感情と結びついているのだ。おそらくそれは、常に性が暴力と隣り合わせにあったからではないだろうか。

「通りすがりの男性からも、露出狂をはじめ、制服に痰を吐かれたり、すれ違いざまに手の甲を舐められたこともありました」

高校生の頃に何か大きな被害に遭った気がする、とキョウコは声を低める。本当にひどい目に遭ったはずなのに、思い出せないと。話せるタイミングでいいからと、私は先を促した。

「大学に入ったばかりの頃にも、こんなことがありました。ある男友達と夜に外出して、横断歩道で信号待ちをしていたら、いきなりその人に顔をつかまれて、電柱にぶつけられたんです。殺される、と思いました。すねを蹴って逃げたら後ろから缶ジュースを投げられて、それが頭に当たりました。その友達は幻覚を見たりする人でしたね。

指導教授からのセクハラも悲しかったです。『ホテルに来い』って誘われたり、飲み物をやたら先に飲まされたりとか。教授は私の後に飲んで『君の甘い味がする』とか言うんです。きつかったです。君のことを本に書いた、と渡されたり、いろんな人を紹介してあげるからとパーティに同伴させられたりしました」

キョウコたちの世代は、セクハラをうまくかわしてこそ一人前と言われてきた。キョウコも社会に出た後に、セクハラを軽くかわすスキルを少しずつ身につけた。傷つかずに済むやり方を覚えて楽にはなったが、そういう目に遭いそうな場所に行くことや人に会うことが嫌になったという。

記憶の中の暴力にさいなまれている

子どもの頃からキョウコが受けてきたさまざまな暴力の形を、時系列に沿って聞いてきた。高校時代にひどい目に遭ったという体験については、最後までキョウコは思い出せなかった。

「辛い思いをしたのに思い出せないなんてあり得ない、って友達に言われたことあります。でも本当にきつい記憶って、辛すぎるから思い出せないようにできてるんじゃないかなとも思います。逆に浅い傷なら話せるくらいの痛みで残るのかもしれないですね」

キョウコは今も記憶の中の暴力にさいなまれているから、それを客観的に整理して言葉にすることができないでいるのではないだろうか。

暴力の被害を受けながら、声を上げてそれを告発した人。セクハラやパワハラの報道に触れて、フラッシュバックに苦しむ人。また、同じような被害に遭ったけれど自分は声を上げなかった、そのせいで後の世代に同じような被害者を出してしまった、という罪悪感を抱く人もいるだろう。

暴力による爪痕は、身体だけではなく心にも深く残る。記憶の中の暴力にさいなまれているキョウコのような人は少なくないのかもしれない。

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