昔は何もなかった「池袋」 鉄道の駅ができたからこそ発展した街

池袋駅には、東京北西部や埼玉南部から多くの人がやってくる

東京の巨大ターミナル駅の一つ「池袋」にはいくつもの顔があります。西武鉄道がターミナルを構え、西武百貨店とパルコが並ぶ東口は、サンシャインシティ周辺まで繁華街が広がる若者の街です。対する西口は、東武百貨店とルミネが並び、東京芸術劇場を擁する大人の街といった印象です。

小劇場や映画館があれば、雑然とした歓楽街もある。少し歩けば学校や住宅が広がる不思議な街、池袋は、駅を中心に様々な人と文化が集まって誕生した「駅の街」とも言えるでしょう。

しかし山手線の開業と同時に駅が置かれた新宿、渋谷とは異なり、池袋には当初、駅はありませんでした。そんな池袋が、どうして新宿、渋谷に並ぶターミナル駅へと成長できたのでしょうか。その軌跡を追います。

巣鴨から目白に向かうはずだった山手線

巣鴨~大塚間で大きくカーブする山手線

山手線は赤羽と品川を結ぶ「品川線」として1885年に開業しました。途中駅は、街道沿いに街が形成されていた板橋、新宿、渋谷と、不動尊を中心に寺町のあった目白と目黒に設置され、当時の池袋は農地が広がる何もない土地でした。

池袋に大きな転機が訪れるのは、1900年代に入って田端と品川線を結ぶ新たな路線が計画された時のことでした。現在の山手線田端~池袋間にあたるこの路線は当初、田端から巣鴨を経由してそのまま線路をまっすぐ延ばして目白駅で合流する計画でしたが、着工後に合流地点が池袋に変更されたのです。山手線の線路が巣鴨~大塚間で大きくカーブしているのはこの名残りです。

巣鴨~大塚間で大きくカーブしていることがわかる(イラスト・古本有美)

土地だけはいくらでもあった池袋

谷に囲まれ坂の多い目白駅周辺

当初合流地点に目白駅が選ばれたのは、開業済みの駅に合流させるほうが工事しやすいとの判断でした。ところが神田川に削られてできた高台と崖に囲まれた目白駅には、新たな線路やホームを建設するスペースが乏しく、工事の難易度も高いことが判明したため、急きょ代替地を探すことになりました。

そこで浮上したのが池袋です。畑以外に何もなく、土地も平たんな池袋周辺であれば広大な敷地を確保できるため、新駅を設置して線路を合流させることになりました。池袋駅は街も歴史も関係なく、ただ何もない広い場所だったから誕生したのです。

駅ができたことで、明治末には駅西口に豊島師範学校(現在の東京学芸大)が開設されたり、立教大学が移転したりして、周辺の宅地化が進みます。大正時代に入ると東上線と池袋線が池袋を起点に開業し、埼玉南西部の玄関口としての性格も帯びてきます。

駅から生まれた街

何もなかった池袋は駅を中心に発展した

現在は豊島区随一の繁華街となった池袋ですが、実は昭和のはじめまでは大塚が繁華街の中心地で、デパートが開業したのも大塚が先でした。後に丸ノ内線となる地下鉄計画の終点も池袋ではなく大塚とされていました。

ところが東京の郊外化が進むにつれて、より多くの人が通過する「交通の要衝」となった池袋の存在感が増していきます。1935年にターミナルデパートとして「菊屋デパート(後の西武百貨店)」が開店すると、池袋は駅を中心とした巨大な商圏を作りあげていくのです。

駅によって生まれ、駅とともに成長した池袋。これからも駅に集う様々な人々の文化を取り入れながら、新しい一面を見せてくれることでしょう。

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