ホームズ研究会はスパイの集まり? 足を使って歴史をたどる「探偵」の日々

英国国立公文書館の前に立つ清水健さん。サスペンダーが英国らしい(撮影・山内ミキ)

日本ほどの猛暑ではないが、今年夏、ロンドンでも30度を超える日が続いた。公共交通機関には冷房設備が整っていない場合が多く、電車やバスの窓も小さいので、炎天下の移動はうだるような暑さとの戦いになる。

ロンドン郊外にある英国国立公文書館で清水健(52歳)さんとお会いしたのは、ひときわ暑さの厳しい日であった。しかし在英31年になる清水さんは、いつもと変わらずジャケットにネクタイを締めた姿で現れた。七三に分けた頭髪に口ひげは、ちょっと古風な紳士を思わせる 。

そんな清水さんの本業は英BBCの国際ラジオ放送「BBCワールドサービス」の放送通訳兼リサーチャーだ。毎年秋には日本に戻り、あちこちの大学で科学コミュニケーションなどを講義しているので「大学の先生」でもある。

しかし、在英邦人の間で最もよく知られているのが、探偵推理小説の主人公シャーロック・ホームズの研究家「シャーロキアン」であることだ(ちなみに、「シャーロキアン」はファーストネームで呼び合うアメリカ英語で、かつてサーネームで呼び合っていたイギリス英語では「ホームジアン」になる)。

笑い声が絶えない清水さん(撮影 山内ミキ)

シャーロキアンになるまで

清水さんが英国に渡ったのは1987年のこと。SFを愛読する科学少年は、スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」(1968年)を観て、宇宙への夢を膨らませた。

そして、この映画の原作者であるアーサー・C・クラークが学んだロンドン大学キングス・カレッジに留学して物理学を専攻し、次に同じロンドン大のユニバーシティ・カレッジ(UCL)の大学院に進んだ。ここでは計算流体力学を研究。ゆくゆくは大学に残り、研究者として人生を過ごすはずだった。

転機となったのは、1988年にNHKが衛星放送の番組「ワールドニュース」でBBCニュースの通訳を募集していたことだ。大学に通いながら夜や週末は NHKやBBCで通訳のアルバイトをしていたが、委託研究が減っていく中、1999年からフルタイムでBBCで働くことにした。

訪英前から「普通にホームズの小説を読んでいた」が、英グラナダ・テレビが制作した番組「シャーロック・ホームズ」の音をカセットテープに録音し(当時はスマートフォンが登場する何十年前の話である)、「英語の勉強」のためにホームズを演じたジェレミー・ブレットの声を「なぞった」(原音を聴いて影のように復唱する=シャドーイング)。

名門イートン校出身のブレットは、英国の中・上流階級が話す、歯切れがよいジェントルマンズ・イングリッシュを使う。シャドーイングを繰り返すうちに「ホームズの小説のストーリーを暗記してしまった」。

「せっかくロンドンにいるので」、英国のシャーロック・ホームズ協会に所属。何かテーマを選んで研究してみようと思いたち、当初はホームズの宿敵モリアーティ教授が書いたとされる数学の論文について研究していたが、日本人であることを生かし、日本と関係があるテーマを探し出した。

1953年、ホームズ記念銘板の除幕式の様子。中央が銘板 (c) Richard Lancelyn Green Collection

ロンドンで初のホームズの銘板、そして「バリツ」へ

ロンドンの繁華街の一つピカデリー・サーカス。中心部にある「エロスの像」の斜め向かいには、かつてクライテリオンというバーがあった(現在はイタリアン・レストランになっている)。ホームズが相棒となるワトソン医師と初めて会うきっかけとなるのがクライテリオンだ。これを記念して店内には銘板が掲げられている。

この銘板はかつて2枚あり、そのうちの1枚は日本からの寄贈品だった。10年ほど前、その経緯を調べるうちに、清水さんは第二次世界大戦後に日本で暗躍した可能性があるスパイ網の存在にたどり着いた。

時はさかのぼって1948年。東京新聞(10月14日付)がシャーロック・ホームズ同好会「ベーカー街遊撃隊」東京支部の発足を報じている。この同好会はもともと1934年に米国で発足し、各地に広がったもので、東京支部は「バリツ支部」と呼ばれた。

「バリツ」とは「当時、神戸にいた英国人E.W.バートン=ライトが柔術を基に考案した護身術」で、「バートン流の柔術」として「バーティッツ」もしくは「バリツ」という言葉ができたそうだ。シャーロック・ホームズは宿敵モリアーティ教授との決闘で、日本のバリツを知っていたおかげで助かったと語っていることから、東京支部の名称となった。

1953年1月、ホームズとワトソンの出会いを記念して、東京バリツ支部から寄贈された銘板がクライテリオンに設置された。その除幕式の様子をBBCワールドサービスの石田達夫さんが報道。帰国後に長野県松本市で余生を過ごしていた石田さんは、たまたま清水さんの知人の「知り合い」だった。

清水さんは一時帰国中に知人から石田さんの話を聴くと当時に、英国国立公文書館に通って1000件以上の文献を読んだ。ロンドン警視庁、外務省の資料館、大英図書館にも足を運んだ。

1940年代後半から1950年代は世界が冷戦体制になってゆく時代だ。東京支部の幹事を務めた英紙サンデー・タイムズ特派員のリチャード・ヒューズは、「007」シリーズの原作者イアン・フレミングの部下で、英国社会を震撼させたケンブリッジ・スパイ事件の解決にも一役買っている。

ホームズの同好会という場を使いながら、実は米英のスパイたちが対ソ情報を交換していたのではないかーーこれが清水さんの仮説だ。

正確な情報を集めるには、日々の新聞を読み込み、新聞図書館で昔の新聞をチェックする作業が欠かせない。関連書籍もどんどんたまる。仕事がらみでの情報収集と特定のトピックについて個人の興味で調べる場合の境目は限りなくあいまいだ。

清水さん(撮影・山内ミキ)

スパイに間違われて追跡されたことも

時には興味深いネタが向こうから飛び込んでくる。

19世紀半ばの幕末、長州藩(現在の山口県)から5人、薩摩藩(鹿児島県)から19人の留学生がUCLにやってきた。彼らを顕彰する碑が建てられたときUCLの院生として除幕式に参列した清水さんは、渡英から150年を記念する式典にあわせて、 この幕末の留学生について記事をまとめてほしいと依頼された。調べていくうちに、自分の高祖父が欧州に派遣(1873年)されていたことを「初めて知った」という。調査の枝がどんどん拡がってゆく。

これはと思う事柄についてコツコツと資料を集め、現地に行って人と会い、情報を確かめ、写真を撮影する。集めたものから歴史の「仮説」を立てて、浮かび上がってくるものをつかんでゆく。「歴史探偵」の清水さんにとって、英国はネタの宝庫のようだ 。

情報収集に熱心な清水さんは、一人でどんなところへも出かけてゆくため、「スパイと間違われたことも多い」という。1980年代から90年代にかけて旧ソビエト連邦をはじめとする東欧へ足繁く通っており、短い滞在時間を十二分に使おうと写真を撮影しながら駆け回っていたために、「スパイと間違われて追跡されたこともある」という。

モスクワの米国大使館から電話がかかってきたことをきっかけに、しばらく自宅の電話が盗聴されていたこともあるし、だれとどこであったかを記した手帳を背広の胸ポケットに入れていたら、財布は抜かれずに「手帳だけが盗まれた」ことが3度あるという。「僕の手帳を盗んで、いったいどんな目的があったのでしょうね」と清水さんは苦笑する。

探偵、スパイ、歴史・・・ジャケット姿でユーモアを交えて話す清水さんは、英国らしさを満喫しているように思える。

「日本では、他人と違うことをやりにくい雰囲気がありますよね」と問いかけてみると、「子供のころから好きなことを突き詰めていくオタクでしたから、今でも他人と違うことに熱中してオタクと呼ばれるのは、むしろ誇らしいですよ」。

アマチュアとエキセントリックを重んじる英国は、「他人に干渉しない。世間に合わせなくてはならない、というのがない」という。

筆者は、清水さんの次の「新発見」をユーモアあふれる裏話とともに聞くことを楽しみにしている。

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