北極圏の「クジラ猟」にハマった会社員 「年の1/4」は休職してアラスカへ 

北極圏の「クジラ猟」にハマった会社員 「年の1/4」は休職してアラスカへ 
氷の浮かぶ北極圏での海でのクジラ猟(提供:高沢進吾氏)

1年のうち3カ月間は、会社を休んで北極圏でクジラ猟。そんな暮らしをもう20年近く続けている会社員がいます。東京の環境調査会社で働く高沢進吾さん(51)です。クジラ猟のシーズンはアラスカに滞在し、先住民族の男たちと一緒に極寒の海に乗り出していきます。

高沢さんは現在勤める会社に誘われたとき、「毎年3カ月の休暇をとる」という条件を出したうえで入社したといいます。ただし、休暇中は給料がもらえません。それでも毎年アラスカへ出かける高沢さん。いったい何が、高沢さんを突き動かすのでしょうか。

小さなボートでクジラに近づき、モリを打ち込む

高沢さんは、いま(2018年6月)もアラスカの北極圏にいます。4月上旬から5月中旬がクジラ猟の季節にあたるのです。海が氷で覆われる冬の間は南下していたクジラが、春の訪れとともに再び北上してきます。高沢さんとアラスカの先住民族が狙うのは、そんなクジラです。彼らははるか昔から、クジラを獲って暮らしてきたのです。

春とはいえ北極圏ですから、寒い時の気温はマイナス20℃にもなります。小さなボートに数人ずつ乗り込み、呼吸するため海面に姿を現すホッキョククジラに近づきます。かつてはアザラシの皮を張ったボートを使っていましたが、いまではモーターボートが主流になっているといいます。

高沢さんが滞在する町には、クジラを獲るための「組」が15、6グループあります。組は10人ほどの男性たちと、彼らの猟をバックアップする女性たちからなり、キャプテンと呼ばれるリーダーがボートや燃料を提供します。高沢さんもそんな「組」のひとつに所属しているのです。

古くよりクジラを獲ってきたアラスカの先住民族ですが、現在はIWC(国際捕鯨委員会)によって捕獲数が制限されています。高沢さんが滞在する人口700人ほどの町ポイントホープの割り当ては、年10頭です。「厳密には『10頭にモリを打てる』ということ」と、高沢さん。「モリを打ちこんだクジラが逃げたり、嵐でクジラを引き上げられなくなったりしても『1頭』に数えられる決まりです」。

アラスカでのクジラ猟:高沢進吾さん
今年の猟で獲ったホッキョククジラ。人と並ぶとその大きさがわかる(提供:高沢進吾氏)

ホッキョククジラは、大きなものになると50フィート(約15m)になります。「重量は、1フィートあたり1トンといわれています」と高沢さん。クジラは最初にモリを打ち込んだ組のキャプテンのものとなり、手伝うため2番目にモリを打った組、3番目に打った組と、順番にもらえる部位が決まっているといいます。

滑車とロープで2、3時間かけて引き上げられたクジラは、解体されたのち、各家庭でルイベ(冷凍の刺身)にしたり、血と肉を混ぜて発酵させる「ミキアック」にしたりして食べられます。「彼らもいまではアメリカ人なので、クジラも食べますが、ハンバーガーを食べたりコーラを飲んだりもしていますよ」と高沢さんは笑います。

北極圏でのクジラ猟は「冒険でも探検でもない」

高沢さんを北極圏へといざなったのは、中学生のころに読んだ冒険家・植村直己の本でした。20代のころ海外を旅行するにあたり「どこか僻地へ行きたい」と思い、たどり着いたのがアラスカでした。

ひとりで何回か訪ねるうち、現地に友人ができた高沢さん。彼らとともにクジラ猟をするため、2000年から毎年、3カ月間の長期休暇をとるようになりました。「氷の上にいること自体楽しいし、クジラが獲れたら獲れたで嬉しい」と語る高沢さんは、すっかり現地の暮らしになじんだようです。

「僕がやっているのは冒険でも探検でもない。ただの“生活”なんです」。白夜が続く現地には、子供が遊びに出かけるとき「暗くなるまでには帰る」と言う“白夜ジョーク”があると教えてくれました。

アラスカでのクジラ猟:高沢進吾さん
毎年開催される「クジラ祭」での高沢さん(左)と組のキャプテン。(提供:高沢進吾氏)

捕鯨に反対する声について高沢さんに聞いてみると、「現地の人たちは特に気にしていないようです。そもそも反捕鯨のアメリカ人のなかで、同じアメリカ人(=アラスカの先住民族)がクジラを獲っていることを知っている人がどれだけいるか疑問です」と返ってきました。

ただ、クジラ猟の将来に懸念もあるようです。「町のすぐそばで油田が見つかったんですよ。本格的に採掘が始まれば、ノイズでクジラが近寄らなくなる可能性がある。もし油が漏れるようなことがあれば、はたしてどうすればいいか」。そう憂いていました。

もう一つ、高沢さんが気にしているのが、アラスカの文化の変貌です。

「アラスカもいろいろと変わっていく、その変化をなるべく記録しておこうと思うようになりました。日本でもそうですけど、自分たちの文化が変わっていくことって、ほとんど気にしないんです。部外者の記録を見て初めて『あ、こんなに変わったんだ』って気づく」

そう語る高沢さんは、これからも「部外者」として、1年の4分の1をアラスカで過ごしていくようです。

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