「自分が好きなこと」を姑息にお金にしていきたい 「元たま」石川浩司のYouTuber的な生き方

「自分が好きなこと」を姑息にお金にしていきたい 「元たま」石川浩司のYouTuber的な生き方

1990年に発売されたシングル『さよなら人類』が大ヒットし、紅白歌合戦にも出場したものの、2003年に解散した「たま」。40代以上のみなさんには懐かしのバンドかもしれませんが、今年28歳の私はまさにその年に生まれたため、リアルタイムでその活躍を見ていたわけではありませんでした。

しかし、高校時代に80年代の日本のアングラ音楽を漁っていたとき、「たま」と出会いました。世界の終末を歌ったかのような『さよなら人類』のシュールな世界観に引き込まれた一方で、なぜこんな曲がヒットしたのか、とても不思議でした。

多くの人が「たま」に熱狂した当時はどんな状況だったんだろう。そう思って、今回、ランニング姿でパーカッションを演奏していた石川浩司さんに話を聞きにいきました。たまがブレイクしたときの思い出を振り返ってもらいながら、「好きなことをやって生きていきたい」というYouTuberみたいな人生観を語ってもらいました。

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「たまは一回きりのお遊びバンドのつもりだった」という石川浩司さん

「外で鼻くそをほじくれなかった」

――たまはアマチュアバンドが演奏を競い合う人気番組「イカ天(三宅裕司のいかすバンド天国)」に出演後、社会現象にまでなったそうですね。

石川:「イカ天」はいまでいうと「M-1グランプリ」みたいなものだよね。出演したら、一晩でバーンと知れ渡る。放送の翌日、メンバーの知久くん(知久寿焼)と知り合いのバンドのライブを見にいったんです。新宿駅で待ち合わせをしていたら「昨日テレビ出てたでしょ?」って、女子高生とかいろんな人が押し寄せてきて、パニック状態になりました(笑)。ライブ会場に着いても、お客さんはみんな僕たちに注目する。演奏していたバンドにも「今日は素晴らしいお客さんが来ています」と紹介されて、ステージに上げられた(笑)。一晩でこんなに変わって、「どういうこっちゃ」と思いました。


――そこまで有名になるとは思っていなかった?

石川:想定してなかったですね。アングラな音楽のバンドだったし、商業的に売れるとは思ってなかったんです。それまでは「一生バイトをしながら音楽をやっていくんだな」と思っていた。「俺はもうそれでいいや」と。だから「テレビに出て少しでも有名になったら、バイトをちょっと減らせるかな」と思いましたよ。

――有名人になって大変だったことはありますか?

石川:外で鼻くそをほじくれないですよね(笑)。常に見られているという意識がありました。いつのまにか精神的に疲労がたまっていったのは事実です。アルバムのレコーディングも、海外でやるようになりました。日本だと、ちょっとでも時間があるとテレビや雑誌の取材が入る。気が散ってしまうんですよ。

――そんな落ち着けない状況で、どのように平常心を保っていたのでしょう?

石川:冷静に考えるようにはしてました。メンバーも20代後半になっていたので、10代のころほど周りに惑わされなかった。「こういうのは一過性のブームにすぎないから、流されるのはやめよう」と話し合いました。ブームが下火になってからも困らないように、入ったお金で自分たちのスタジオを作ったりしました。

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自分の好きなことしかやりたくなかった

――そもそも、石川さんが音楽の道を志したのはいつだったんですか?

石川:はっきり決めた時期があるわけではないですが、だいたい中高生のころでしょうか。高校時代はとにかくグータラで、雨の日と風の日は休んでいました(笑)。自分の好きなことしかやりたくなかったんです。

――当時、影響を受けた音楽はありましたか?

石川:アングラ系のフォークシンガー、三上寛さんが好きでした。ライブを見にいったら、3つくらいのコードで延々と曲をやっていた。それを見て「これなら俺もできる」と思って(笑)。実は僕は手先が非常に不器用で、ギターの弦を押さえるのが指3本でしかできなかった。でも、僕も押さえられるコードだけで演奏をやってみたら、それがけっこうウケたんです。

――最初はギターの弾き語りをやっていたんですね。

石川:そうなんです。音楽活動を始めたら、だんだん高円寺の僕の家にアングラな音楽をやるミュージシャンが集まるようになりました。その仲間とライブイベントをやっていたんですが、そこでバンドごっことして始めたのが、たまの前身バンドでした。知久くんと柳ちゃん(柳原幼一郎)と「かきあげ丼」という適当な名前のバンドを組んだ(笑)。誰かひとりが歌って、残り二人は後ろでチャチャを入れたり、変なコーラスをかぶせていました。

――そこでパーカッションを始めたんですか?

石川:はい。でも、最初はそんなに関心なかったんですよ。僕、毎週木曜の燃えないゴミの日に、落ちているゴミを拾いにいくのが週に一度の楽しみで。ある日、スネアドラムが落ちていたんです。バンドで使ったら面白いかなと思って、半分おふざけで持って帰ったのがきっかけ。メンバーのなかでギターが一番下手だった僕が、パーカッションをやることになった(笑)

――そうだったんですね。いま振り返ってみても、たまは他のどんなミュージシャンとも似ていない気がしますが、影響を受けたバンドはあるんですか?

石川:みんなが共通して影響を受けたバンドは全然なかったです。せいぜいビートルズを聴いていたくらいで。たまは、音楽的な志向が近くて集まったバンドじゃないんですよ。それよりも、歌詞の独特な世界観が先にあった。日常のなかの非日常というか、シュールな世界。それを共有しながら、お互いに惹かれあってできたバンドでした。

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――1995年に柳原さんが脱退してメンバーは3人になり、2003年には完全に解散してしまいました。どのような経緯で解散に向かったのでしょう?

石川:柳ちゃんは「たま」にいたころからソロアルバムを出していたんですが、だんだんソロでやりたいことが増えていった。彼はひとつのことに没頭していくタイプだったから、両立が難しかったんでしょう。脱退後は、キーボードにサポートメンバーを入れて、8年間やっていました。完全に解散したのは、各メンバーの他の音楽活動の比重が増えたから。それから20年近くたまをやってきて、マンネリ化してきたのは認めざるをえなかった。

――そうだったんですね。けれど、石川さんは解散後もずっと、音楽を続けていますね。

石川:そうですね。知久くんとは「パスカルズ」というバンドを今でもやっています。海外でけっこう人気があって、フランスでアルバムを3枚リリースしました。フランスの大手新聞「ル・モンド」など海外メディアで推薦アルバムとして選出されたこともありました。

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目標はつくらず、自分の楽しめることをやる

――石川さんにとって、バンドとソロの違いってなんでしょう?

石川:バンドは決め事があるから、きっちりみんなと合わせないといけない。ソロだと「今日のお客さんの感じなら、こういう曲にしよう」って、気楽に変更できるんですが、バンドだと相談が必要です。逆に、ソロは全責任が自分にあるから、緊張感があります。僕はとにかく不器用なんで、ギターの弦が切れたら直すのに5分も10分もかかっちゃう。ドキドキしますね。

――ひとりでやっているとき、寂しさを感じたりしませんか?

石川:寂しさは感じないですね。僕ね、ひとりでいるのが全然大丈夫なんです。ネットをやったり本を読んだりして、ひとりで過ごす時間が好きですね。実はうちの妻も同じようなタイプ。だから30年も続いているのかも。飯のとき以外は、それぞれの部屋で好きなことをやってますね。

――落ち込んだりすることは?

石川:落ち込むことはありますよ。ライブのあとに、友達に「今日はいまいちだった」と言われたときとか。でも、僕は忘却力を強めるようにしている(笑)。落ち込むことは、デメリットしかない。すぐに次の新しいことを考えるようにしています。

――石川さんは音楽活動のほかにも、空き缶やインスタントラーメンのパッケージのコレクションもしていますね。魅力を感じるものになにか共通点はありますか?

石川:不器用なものや出来そこないのものに魅力を感じますね。そういうものに人間味が出ると思っています。自分がそうだから、親近感を感じるのかもしれない。逆に、完璧なものや綺麗すぎるものにはあまり固執しないですね。

――今後の展望はありますか?

石川:それがね、全然ないんです(笑)。あえて作っていないかな。何か目標を掲げていると、たどり着けないときにイライラしてしまうでしょう。それじゃよくない。世の中どうなるかわからないし、自分もいつ病気になるかわからない。

僕は姑息に「自分が楽しめること」を続けていければと思っています。お金のためにやるのではなく、楽しいことをお金にする。これからも自分が好きなことをとことんやっていきたいですよ。

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