道端の「片手袋」撮り続けて13年――人間ドラマを妄想する「孤高の研究家」

道端の「片手袋」撮り続けて13年――人間ドラマを妄想する「孤高の研究家」

世の中にはいろいろな研究者がいますが、「片手袋研究家」という風変わりな肩書きを名乗る男性がいます。町なかを歩いていると、道端に手袋が片一方だけ落ちていることがあります。そんな片方だけの手袋を撮影して記録に残し、手袋の落ちた状況や原因などを考察するのが、片手袋研究だというのです。

10年以上にわたり研究に取り組んでいるのは、東京都文京区に住む自営業の石井公二さん(37)。メディアに取り上げられるなど注目を集めています。最近では、人気番組「マツコの知らない世界」(TBS系)に出演して話題となりました。

片手袋を研究しているのは、世界広しといえども石井さんだけとのこと。「孤高の研究」を続ける石井さんに、なぜそんなことをしているのか聞いてみました。

「見つけたら必ず撮る」4000枚に及ぶ片手袋写真

――片手袋研究は、写真の撮影から始まるということですが。

石井:落ちている片手袋を見つけたら、携帯で必ず撮影します。13年間撮り続けて、これまで撮った写真は4000枚以上。もう義務みたいなものですね。撮影しないと気が済まないんですよ。たとえば、終電を逃してタクシーで帰宅しているとき、窓からたまたま片手袋が落ちているのを見つけちゃうと大変です。自宅に着いてから、自転車で片手袋が落ちていた場所まで戻って撮影しなければ、気が済まないんですよ。

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「片手袋」は屋外のさまざまな場所に、さまざまな状態で存在している

――13年で4000枚だと、11枚ペースになると思いますが、そんなに多くの片手袋を見つけられるものですか?

石井:だんだんと目が肥えてきます。撮影を始めた頃と比較すると、見つける枚数は圧倒的に増えましたね。ぼやっと見た景色の中に違和感を見つけるというか・・・。これだけ片手袋を見てくると違和感に気づくようになるんですよ。20メートルくらい手前で違和感を覚えて近づいてみると、やっぱり片手袋だったみたいな。

――家族と一緒にいるときでも、片手袋を見つけたら写真を撮るんですか?

石井:もちろんそうです。妻はもう諦めていて、一緒に歩いているときに僕が写真を撮り始めたら、スタスタと先に行ってしまいますね。一方、8才の娘は、生まれた時から僕が片手袋の写真を撮っていたので、むしろ自然に感じているようです。片手袋と娘を一緒に撮ったりもしていたので、いまでは、娘が片手袋を見つけると、無言で片手袋の横に立つようになりました。

「絶対に触ってはいけない」片手袋撮影の厳格なルール

――そもそも撮影を始めたきっかけは何だったんですか?

石井:片手袋のことは、幼少の頃に読んだウクライナの『てぶくろ』という絵本がきっかけで、ずっと気になっていました。そして、20代のある日、僕の家の前に片手袋が落ちていました。手元にたまたま買ったばかりのカメラ付き携帯があったので、撮ってみたんです。それからすぐに2枚目を撮って。いつの間にか、続けなければいけないっていう義務感がわいてきて、やめられなくなってしまったんですよね。

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片手袋研究にきっかけとなった「最初の一枚」(2004年撮影)

――石井さんが片手袋を撮影するとき「厳格なルール」があるそうですね。

石井:「絶対、片手袋に触ってはいけない」というルールですね。撮影を始めたときから変わっていません。(人が落とした片手袋に遭遇するという)偶然性に魅力を感じていたので、その偶然の出会いに手を加えたくないというのが一つ。それと、人が制御できないおっちょこちょいな部分というか、隙みたいなものを「観察する側」でいたいという気持ちもあって、絶対に触らないようにしています。

――観察に徹するフォトジャーナリストみたいですね。

石井:近いものは感じていますね。ジャーナリストだけでなく、踏み絵を踏まされる人の気持ちもよく分かります。「信仰心を捨てなければ、表向き絵を踏んでもいいじゃん」と言う人はいると思うんですけど、踏めないんですよね。片手袋の観察も同じで、写真映えのする面白い形に変えて、黙っていればいいんでしょうけど、絶対に触れないんですよ。触ることに対して、強烈な罪悪感があるんです。

「放置型」と「介入型」 片手袋の分類とは?

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研究の成果をまとめた「片手袋分類図」(2018年3月19日改訂版)

――片手袋研究の醍醐味とも言えるのが、撮影した写真の分類だと思います。どのように分類しているのか教えてください。

石井:片手袋には、大きく分けて「放置型」と「介入型」があります。「放置型」は、落ちている片手袋がそのまま放って置かれている状態です。間の抜けた魅力がありますが、寂しさも漂わせています。一方の「介入型」は、落ちている片手袋を誰かが拾い上げて、見つけやすい場所に移動してあげた状態のものです。どこか人の優しさを感じることができます。このほか、目的があってわざと片手袋になっている「実用型」というのもあります。

もう少し細かく分類することもできます。手袋を使用する目的は、手の保護、滑り止め、保温など様々です。そういったそれぞれの「目的」によって、軍手、ゴム手袋、防寒類などに分けることができます。また、片手袋が発生する「状況や場所」の偏りでも分けられます。10年以上にわたる観察を通して、それらを図にまとめたのが、「片手袋分類図」です。

――片手袋を見つけると「妄想」するということですが、これはどういうことでしょうか?

石井:片手袋が生まれた背景を考えます。落とした人はどんな人で、どんな状況だったのかといったことですね。たとえば、ケーキ屋の前に紳士用の片手袋が落ちていたら、こんな妄想が浮かんできます。

・・・落とし主は初老の男性で、高校生の娘がいる。愛娘のためにケーキを買ってあげようと思ったら、手袋を落としてしまった。それは、自分の誕生日に娘がプレゼントしてくれたものだったので、帰宅したとき「お父さん、何やってんのよ」と怒られてしまった・・・

――すごい妄想力ですね・・・

石井:片手袋の背後には、それを生み出した人間のドラマがある。落とし主や拾った人の様々な物語を想像することができるんです。研究として論理的に追及していくのも面白いですし、文学的に背景を想像することも片手袋の魅力の一つなんです。

片手袋が教えてくれた「個を尊重」することの大切さ

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金網にひっかけられた「介入型」の片手袋(右)

――片手袋って、寂しさみたいなものがありますよね。

石井:落ちている片手袋を見て、悲しいと感じる人は結構いますね。2つで1組のものが、その役割を奪われ、1つだけになって落ちていることの寂しさがあるんだと思います。僕もそう納得していたんですが、あるときから「本当にそうなのかな」って思うようになりました。手袋ってほとんどは、機械で片方ずつ作られている工業製品じゃないですか。これが2つで1組だと思うのは、人間の思い込みでしかないんですよね。見方を変えれば、片手袋になったというのは、元に戻ったとも言えるんです。 

――興味深い考察ですね。

石井:人間でも同じことが言えるかもしれません。人は集団でいることが当たり前で、ひとりでいることは寂しいことだという空気があると思います。しかし、そうではないと思うんです。僕はひとりでやる趣味がわりと多くて、ひとりで映画を見に行っているときやひとりで釣りをしているとき、寂しいとは全然思わないんですよ。ひとりでいることに後ろめたさを感じる社会はおかしいと思います。個として生きている状態を認められる社会のほうが、「みんなで仲良くしよう」ってことより健全なんじゃないかな。個を尊重した上で、家族やコミュニティみたいな所属できる場所もあるというのが理想なんだと思います。

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片手袋研究家 石井公二さん

――片手袋研究を通して「個の尊重」にまで考察が及ぶとは・・・。この研究を通して、石井さんが面白いと感じるのはどんなところですか?

石井:実は、面白いと感じられないときのほうが多いんですよ。もうこの研究をやめたいって思っている時間のほうが多いし。映画が好きなんですが、片手袋研究に本腰を入れてからは、画面のどこかに片手袋が映っていないか、探してしまうんですよ。

――片手袋が出てくる映画って、どんなのがあるんですか?

石井:たとえば、『アナと雪の女王』。あれはまさに片手袋の映画です。エルサは、アナの姉であったり、王位を継承しなければいけなかったり、そういう立場でがんじがらめになっている。そうしたしがらみの象徴として手袋があって、そこから解放されるシーンで片手袋を放り投げるという象徴的な動きをします。しかも「ありのままで」と言いながら。

片手袋はいろいろな感情を表現する道具になっているから、ついつい探してしまう。こんな感じだから、本当に映画を楽しめているか分からない。眼球の外側に「片手袋用のフィルター」がかかっているようになっちゃっているんです。

――どうして、そんな思いをしてまで「片手袋研究」を続けているのですか?

石井:一つの体系を作っているという面白みがあるからです。今まで体系としてなかったものを自分が作っている。一つの世界を作り上げている。そういう面白みがあります。手袋という装身具が人類の歴史の中で、どんな役割を果たしてきたのか。そんな「片手袋を基準とした人間の文化史」のようなものを探求していきたいです。

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