売春とともに生きた人々のリアルを描く 「沖縄アンダーグラウンド」の舞台裏

著書『沖縄アンダーグラウンド』について語る藤井誠二さん
著書『沖縄アンダーグラウンド』について語る藤井誠二さん

安室奈美恵さんの引退や翁長雄志前知事の死去に伴う選挙で注目を集めた沖縄で、脚光を浴びている本があります。2018年9月に講談社から発売された『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』です。

ジュンク堂書店那覇店で、ベストセラーランキングの1位(琉球新報・2018年9月30日)。硬派なノンフィクションにもかかわらず、安室さんや翁長前知事に関する本をおさえての快挙でした。

沖縄の「もう一つの現実」を解き明かす

この本の主な舞台は、2011年ごろまで沖縄県の二大売春街として知られた真栄原新町(宜野湾市)と吉原(沖縄市)。

そこで生きてきた女性たちや風俗店経営者、ヤクザ、警察関係者などに綿密な取材を行い、これらの街が沖縄の戦後史の中でどのように生まれ、どのように消えていったのかを解き明かしています。

沖縄の「もう一つの戦後史」を記録した『沖縄アンダーグラウンド』
沖縄の「もう一つの戦後史」を記録した『沖縄アンダーグラウンド』

「沖縄の恥部」とまで言われた街で、過酷な環境に置かれた人々はどのように日々を生きていたのか。すぐ近くにある米軍基地との関係はどうなっていたのか。『沖縄アンダーグラウンド』という書名の通り、沖縄の「もう一つの現実」を知ることができる内容となっています。

著者は、DANROで「沖縄・東京二拠点日記」を連載中のノンフィクションライター、藤井誠二さん。これまで犯罪被害者を丹念に取材したノンフィクションを数多く書いてきましたが、今回は沖縄の「売春街」がテーマです。なぜ取り組んだのか。タブーとされる世界をどう取材していったのかーー。

藤井さんがその舞台裏を語る講演会(主催・なごやメディア研究会)が9月28日、名古屋市内で開かれました。

UFOが降りてきて、浮かんでいるような街

藤井さんが初めて沖縄を旅したのは20数年前。当時20代だった藤井さんは、「大江健三郎さんや喜納昌吉さんの影響を受けて、沖縄に対して『平和の島』『反基地運動の象徴』というイメージをもっていました」。

ところが、たまたま乗ったタクシーの運転手に「沖縄の別の顔も見せてあげましょう」と言われ、普天間基地の街として有名な宜野湾市の真栄原(まえはら)新町に連れていかれたのです。

「大きなショックを受けました。ネオン街というレベルではない。そこだけUFOが降りてきて、UFOがそのまま浮かんでいるような街でした」

そこは、沖縄で「特殊飲食街」と呼ばれる性風俗店が密集した街。スナックやバーを装った店の奥の個室で、なかば公然と売春が行われていました。

それまでの沖縄に抱いていたイメージとの落差に衝撃を受けた藤井さんですが、特殊飲食街がもつ怪しいパワーに強くひかれました。その後、地元のタクシー運転手の案内で、真栄原新町や他の似たような街を訪ね歩き、性風俗業界の住人たちから話を聞くことを重ねていきました。

「この街で生きた人々の声を記録しておきたかった」

ところが、2010年に大きな変化が訪れます。その少し前から、真栄原新町をつぶそうという官民一体となった運動が本格化して、性風俗店の閉店があいつぎ、街が一気にゴーストタウン化していったのです。

「それをきっかけに取材モードに入りました。それまで数十年続いていた街が、わずかの期間でゴーストタウンになっていく。しかし、地元のメディアは警察側の発表を伝えるだけで、そこで生きる人々の声をまったく伝えていませんでした」

ゴーストタウン化した現在の真栄原新町
ゴーストタウン化した現在の真栄原新町

藤井さんは、取材を始めた当時の状況をそう振り返ります。

「この街で生きてきた人たちの声をちゃんと記録として残しておきたい、と思ったんですね。このまま消えていってしまっていいのか。これを残しておけるのは自分しかいないのではないか。そう感じて、いわば背中を押されるような形で取材を始めました」

藤井さんが『沖縄アンダーグラウンド』で丁寧に解き明かしているように、沖縄の特殊飲食街の歴史には、この島特有の「米軍基地」の存在が暗い影を落としています。

終戦後の米政府統治下の初期には、米兵によるレイプが横行していたという沖縄。真栄原新町のような特殊飲食街は、過酷な現実を緩和するための「性の防波堤」として設けられたという論もあるのです。

「すぐそばに基地があることのリアリティを、この街を媒介にして伝えたいという思いもありました」(藤井さん)

借り手がつかぬまま無人化しているかつての風俗店
借り手がつかぬまま無人化しているかつての風俗店

記事を数百部コピーして取材依頼

現在、沖縄にも住居を設け、東京と往復する生活を送っている藤井さん。『沖縄アンダーグラウンド』の取材のために話を聞いた人の数は、「正確にはわからないが、200~300人を超えるのではないか」と語ります。

売春という社会のタブーに踏み込んでいく取材のため、最初は協力者を作るのに苦労しました。また、沖縄で内地出身者が取材することの難しさもありました。その打開策として藤井さんが取ったのは、自分が書いた記事をコピーして配るという手法です。

「取材を始めてしばらくたったころ、講談社の『g2』という雑誌で途中経過的な記事を書きました。それを400~500部コピーして、いろんな人に名刺と一緒に渡していたんです。『この記事を読んで、私のスタンスを理解してほしい』と言いながら」

記事のほとんどは「そのままゴミ箱行きが多かったと思う」とのことですが、ときどき、記事を読んだ人が「この人に会ってみたらいいのでは?」と紹介してくれることがありました。「この手法もそれなりの効果があったんだと思います」(藤井さん)

那覇市内の風俗街でたまたま出会った女性に、雑誌記事のコピーを渡して取材を申し込んだら、数日後に連絡が来たということもありました。取材を受けてくれた理由をたずねると、「藤井さんが雑誌に書いた通り、沖縄にこういう街があったことを記録しておいてほしいから」という答えが返ってきたそうです。

仲介者の協力で実現したヤクザ取材

『沖縄アンダーグラウンド』では、一部の女性がまるで人身売買のように特殊飲食街に連れてこられて、売春に従事させられていることの背景を探るため、藤井さんが暴力団組織の幹部に会いにいくシーンも描かれています。

「協力者の存在がなければ、地元のヤクザの幹部に直接取材するなんてことはできない。そういう仲介をしてくれる協力者をどうやって探すかが、大きな課題でした」

取材という点では、真栄原新町や吉原といった特殊飲食街で働いた経験をもつ女性たちに心を開いてもらい、これまでの人生を語ってもらうのも大変でした。

「ヤマトから中年のおっさんライターがやってきて、風俗街のことを取材しようとすると、『どうせ興味本位で書くんだろう』と見られるのが普通で、取材を受けてくれない人も多かった。一方で、何本か太い枝になるような人を紹介してくれる仲介者が現れると、取材が一気に進むということもありました」

藤井さんは取材時の苦労をそう振り返っていました。

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亀松太郎 (かめまつ・たろう)

DANROの初代&3代目編集長。大学卒業後、朝日新聞記者になるも、組織になじめず3年で退社。小さなIT企業や法律事務所を経て、ネットメディアへ。ニコニコ動画や弁護士ドットコムでニュースの編集長を務めた後、20年ぶりに古巣に戻り、2018年〜2019年にDANRO編集長を務めた。そして、2020年10月、朝日新聞社からDANROを買い取り、再び編集長に。最近の趣味は100均ショップでDIYグッズをチェックすること。

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